うまれることと死ぬこととvol.2

長男が3歳になるとき、私は二度目の妊娠をしました。

子供は何人か欲しいとは思っていましたが、その時は全く予期しない、計画しなかった妊娠でした。

私には何となく人生の計画がありました。大学で旦那さんを見つけて27歳くらいで結婚して、30歳までに一人目の子供を産んで・・・と。不思議とトントンと計画通りになってしまったからでしょう。ここにきて計画と違うことに戸惑ってしまいました。

私はお腹の子を心から大切には思えませんでした。

なぜ今なのか、もう少し後でも良かったのに・・・という思いがいつも心にあり、長男の時のように、お腹の子が日々無事であることを祈り感謝する気持ちで過ごすというより、自分の思う通りに、自分の気持ちや体を優先に、好きなように過ごしていました。

例えば伸びをするとか、小走りするとか、腰を揉んでもらうとか、胎児に障ると言われていることも平気でやっていました。夫や周りの人から大丈夫?と言われても、私は決まってこう答えていました。

「どんなことをしたって弱い命なら生まれないし、強い命なら生まれるよ。命は自然淘汰されるのだから」

実際、本気でそう思っていたのです。

私は結婚してもすぐに子供ができず、産婦人科では不妊疑いと診断され、一時は妊娠を諦めていたのでした。だから長男を妊娠したと分かった時は嬉しくて嬉しくて、夫婦で涙したものです。

そんな私が一たび無事に子供を授かってしまうと、このように思い上がり、最初の感動や感謝の気持ちも忘れてしまうなんて・・・私自身思いもしませんでした。

本当に何という人でしょうか、私は。思い返すと悲しくなります。

最初の予兆は微量の出血から始まりました。

微量ではあるけれど決して止まることのない出血。それまで大言を吐いていた私の心に暗い一筋の影が差しました。

長男を連れてタクシーで病院に向かう途中、ふと桐の木が目に留まりました。

凛と背筋を伸ばし、空に向かって淡い紫色の花を掲げている桐の木が、私は昔から大好きでした。

ちょうど5月半ば、日の光を受けて満開に咲くその花を私は眩しく見上げ、ああきっと大丈夫だ、と思いました。

まだ8週くらいの小さな胎児はちゃんと私のお腹にいて、小さな心臓が動いていました。

医師にも9割方大丈夫と言われ安心はしたものの、家では絶対安静に過ごすようにと言われました。私は自分の浅はかさを悔い、お腹の子を本気で守らなければと思い、必死で祈り安静に過ごしました。

出血は止まりました。本当にホッとして、もう二度と命を軽んじるようなことは思うまい言うまいと心に誓いました。

何日平穏な日が続いたのかは覚えていません。1日だったか、2日だったか、いずれにしても本当に短い期間でした。

再び出血が始まった時、私の心に冷たい剣が突き刺さったようでした。

心臓の辺りに冷たく重い塊がじわじわと広がり、どんなに拭っても消えませんでした。

そして再びタクシーで病院に向かう途中、あの桐の木が目に入りました。

花は盛りが過ぎ、茶色に色褪せ、見る影もありませんでした。

あの美しい姿を見たのはたかだか1日か2日前のことなのに。

ハッとしてまるで魔法が解けたような心地でした。暗い予感が心に広がりました。

 

私はそのまま入院となりました。出血は止まりません。

時間が経つごとに出血は激しくなり、月経のような腹痛が増していきました。

その夜、トイレに立つたび看護師さんが付き添い、私が用を足した水の中に「何か」が無いかをかき混ぜて探すという作業を繰り返していました。私はそれがどういうことなのか分かっていましたが、問うこともせず黙って見ていました。

朝になりました。私は痛みで食事を摂ることもできず、祈りながら横になっていました。

痛みに耐え続けていましたが、気を失いそうになり、ナースコールを押しました。駆けつけた看護師さんが私のシーツを見て小さな悲鳴を上げたのを覚えています。私はそのまま担架のようなものに乗せられて医師の元に運ばれました。

周囲が慌ただしく、人が行き交っていました。処置室に行くまで間に合わないからここでやるしかないと医師が言っているのが聞こえました。

数人がかりで足を持ち上げて腰を高くし、頭を低くされていたように思います。看護師さんから何度も肩や頬を叩かれてて大きな声で名前を呼ばれました。私は激しく押し寄せる痛みで意識が遠くに吸い込まれそうでした。

不意に何か温かいものがするりと私から出ていくのを感じました。その途端、あの激しい痛みが嘘のように消えてなくなりました。

医師が残念そうな顔で、別の点滴に付け替えるようにと小さく看護師さんに指示を出していました。

私は涙が止まりませんでした。

 

医師がエコーで確認すると、映し出されたものはただの「無」でした。

私の子宮には何の影も形も手掛かりも足跡もありませんでした。

 

私の子が、去ってしまった。

病室に戻って私は声をあげて泣きました。

私は自分の泣き声がまるで幽霊のようだと思いながらも、自分では止めることが出来ませんでした。

それから夫と息子が私を迎えに来て、私たちは3人で家に帰りました。

私の泣き腫らした目には太陽の光があまりにも眩しく沁みて、花に飛び交う蜂や虫たちが、まるで初めて見るもののように映りました。長男の小さな手を握りながら、私は茫然と歩いていました。

たった数日の出来事です。

命のこちら側とあちら側。

幸福側と不幸側の境界線はたった一歩で、私は一瞬にして不幸側へ移ってしまいました。見えない壁が立ちはだかり、決して元へは戻れません。

全ては私の浅はかさと愚かさのため。

全ては神様の手の中にあることだと思いました。その時は今ほど神様を信じていませんでしたけど。

 

私が自分で発した言葉や心で思っていたこと、自らの行いが、私自身を激しく刺しました。

周りの人は「あなたが悪いのではない」「自分を責めてはいけない」と誰もが私に優しい言葉をかけてくれました。

でも私は私自身を激しく責めました。

自分の心と行いを全て知っていたからです。

 

ですが、その頃の私にはまだまだ受け取れ切れていませんでした。私が歩んできた愚かな道や傲慢な考え方を悟らせるチャンスを、こんなにまでして神様が与えて下さったというのに。

悲しいことに、その後も私はまだ誤った道を歩き続けたのです。

私の命を巡る苦難の出来事はこれで終わりませんでした。

 

神様、どうか、その頃の私をお許しください。

心から祈ります。

 

 

 

 

 

 

 


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中