うまれることと死ぬこととvol.3

私は焦っていました。

二度目の妊娠が早い段階で流産となり、望んだ時期の妊娠でなかったことも忘れて、子供を渇望するようになりました。

この悲しみを打ち消すには、喜びで塗り替えるしかない。
そう思っていたのだと思います。

しかし、全く妊娠の気配はありませんでした。

月経が来る度に私の心は沈みました。自分を責めながらも、どこかで自分を可哀相がっていて、神様に見離された気持ちで一杯になりました。

程なく仲の良い友達が妊娠したことを知り、私は更に打ちのめされました。
彼女は長男の時の妊婦仲間で、家も出産の時期もとても近かったこともあり、親子共々気が合って、いつも励まし合っていました。次の子も一緒がいいねとお互い話していたものです。

その友達が「次の妊娠はまだ考えていない」と言っていたことも、私がお腹の子を素直に喜べなかった理由の一つでした。

「次の子も一緒に産んで、一緒に育てたい」

まさか、そんな女子高生のような感覚が自分にあったとは私自身驚きでしたが、その頃は本気でそう思っていたのです。

私が流産しなければ、また一緒に子育てできたのに‥‥

なんという皮肉でしょうか。悉く私の思い上がった考えや計画を挫く、大きな意志のようなものを感じました。

私はお腹の子を軽んじた自分の愚かさや浅はかさ、傲慢さを痛いほど味わいました。

 

 

今振り返ってみると、流産から半年は私の贖罪の期間だったのかもしれません。

その頃の私にとっては長い長い半年でした。たかだか半年も、その子のことだけを思ってやることができなかった自分が哀しいです。

何処までも私の頭の中は、「自分、自分」だったのでした。

 


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