うまれることと死ぬこととvol.5

3度目の妊娠は順調でした。大きくなっていくお腹を私たち家族は愛で慈しみ、なでたり声を掛けたり、それは本当に楽しみに過ごしていました。私の体調も万全で、すべてが希望に溢れていました。

子宮の状態も非常に良いことが分かり、VBACの条件は整っていました。

(※VBACとは、帝王切開経験者が普通分娩をすることです。)

VBACは約200分の1の確率で子宮破裂というリスクが伴うとのことでしたが、院長先生も私も成功を全く疑いませんでした。決して低い確率ではなかったのに自信に溢れていたのは、その病院では失敗の実績が今まで一例も無かったからです。

夫はVBACでも帝王切開でも、どちらでも良いと言いました。長男の帝王切開についても、長男が無事に生まれたことが全てなのだから、あれはあれで良かったのだと彼は言いました。その言葉が私の心のどこかをハッとさせはしたものの、すぐに「普通分娩をしてみたい」という強い気持ちが夏草のように生い繁り、覆い隠してしまいました。

あの時の夫の言葉は神様からの投げかけだったと今は分かります。その声に私は立ち止まるべきでした。

しかし、当時の私の中では「自分の考え」の方が勝ちました。流産したことで禊が済んだような気持ちもあり、まさか同じような不幸が重なるわけがないとも思っていたのです。

予定日が近づき、いよいよ里帰りとなりました。実家へ向かう途中、最後の三人家族での思い出にと公園に寄りました。せっかくの秋晴れの日、見晴らしの良い丘のある公園でしたが、強風が轟々と吹きすさみ、早々に退散したのを覚えています。まさにあの日、私は逆風の中、そして茨の中に飛び込んだのだと思います。

夫が自宅へ戻り、里帰りの生活が始まった翌日の夕方、早くも陣痛がやってきました。私は入院の支度を素早く済ませ、母の運転する車で病院に向かいました。

私達は大きな大きな夕日に向かって走っていました。赤く色づく直前の金色の光が、私達に祝福のように降り注いでいました。ふと左側に目をやると、折り重なる住宅街の屋根がその金色の夕日に照らされて、この世のものとは思えない美しさに輝いていました。私は息を呑み、「見てごらん!!まるで天国みたいだよ!!!」と思わず息子に呼びかけて、ドキリとしました。「私、死ぬのかな・・」と小さく心によぎった考えを、慌てて打ち消しました。

私は息子と二人、見えなくなるまでその「金色の街」を眺めていました。

あの景色を私は忘れることができません。

病院に着き、母と息子は翌朝来るからねと帰っていきました。私は病室で一人陣痛に耐えていましたが、心細さは全くありませんでした。さあ、いよいよだ、という期待感だけが私を満たしていました。

長男の時と同様に、私の陣痛はのらりくらりと進みました。念の為にと硬い分娩台に載せられたまま、何時間も何時間も待たされたのを記憶しています。

次の日のお昼前に夫も母も息子も到着しました。義父母もほどなく到着しました。皆、「誕生」を祝うために集まったのでした。

いよいよ腰に麻酔が入り、VBACの準備が整いました。VBACは急遽手術になっても良いように下半身麻酔をするのです。苦しかった陣痛も消え去り、「その時」を待つだけとなりました。

夫が分娩室に呼ばれました。若い女性の助産師が私に「いきみ方」を教えてくれました。私は不安でしたが、院長先生は一向に来ませんでした。

2、3度いきんだ時、私は何か違和感を感じました。その時、院長先生が分娩室に入ってきました。

彼は私を見るなり、さっと顔色が変わりました。その顔に迷いや苦悩や焦りが次から次へとよぎりました。何がどうなっているのか私達にはさっぱり分かりませんでしたが、只事ではないことだけは分かりました。

「赤ちゃんが苦しくなっているから、お母さん頑張って。」院長先生が必死に冷静さを保っているのが分かりました。

そのときです。私の産道で小さな赤ちゃんの手が動いたような感じがしました。まるで、バイバイをしたかのようでした。

「手術、手術」と院長先生の怒号が響き渡りました。手術の承諾書に夫が慌ただしくサインをし、分娩室から出されました。夫の表情は見えませんでした。

沢山の看護師が召集され、慌ただしく行き来し始めました。私の顔の前に青いカーテンが引かれ、下半身への視界が遮られました。

そこからは、全てがまるでスローモーションのように感じられました。

一人の助産師さんが私の口に酸素マスクをあてがいました。酸素が出ていませんでした。以前の診察で尊大な態度だったその人が別人のようにオロオロとしているのが分かりました。声を振り絞って「苦しいです」というと、漸く酸素が出てきました。私は意識が遠のきました。

靄がかった夢の中で、目の前に四角い大きな石が二つ並んでいるのが見えました。それが何なのかを必死で確かめようと目を凝らすと、お墓であることが分かりました。

ぎょっとして私は目が覚めました。

看護師さんが右へ左へ行き来しています。ああ、こっちが現実なのか、と思いました。

再び意識が遠のきました。

靄の中、まるで民芸館から出てきたようなリアルな青い鬼と赤い鬼が私の目の前に立っていました。山伏のような、背丈以上もある金属の杖を持って、地面を突きながら何かを話していました。よくよく聞くと、その二体の鬼同士でつまらない漫才のような掛け合いをしているのが分かりました。

ああ、アホらしい・・・と私は再び目が覚めました。

目を開ければ騒然とした分娩室が、目を閉じればお墓や鬼が見えました。私は両方の地獄を行ったり来たりしていました。恐怖はありませんでした。

院長先生の「蘇生、蘇生!」という声が聞こえても、一向に赤ちゃんの産声は聞こえませんでした。

ああ、神様、これはそういうことですね?

私はまた、罪に罪を重ねたのでしょうか?

私は神様に問うていました。

嘘だ、嘘だ、そんな馬鹿なことがあるはず無い、と現実に抗う気持ちも暴れました。

しかしついに、「私は二人も子供を殺してしまったのだ」と、はっきりと悟りました。

自分勝手な考えや願望で、私は尊い命を二つも失わせたのです。

愚かな哀れな母親よ、お前の罪を思い知るがいい。私の中で大きな声が響いていました。

このまま消えてしまいたい、と心から思いました。

長男の顔が浮かびました。夫の顔が浮かびました。様々な人々の顔が浮かんでは消えました。

これが現実なのだ、と思いました。

「私はこの十字架を背負って生きていくのだ。」

そう心が固く決まった時、急に視界が開け、手術室の様子がまざまざと俯瞰で見えました。丁度、ガチャン、ガチャンと大きなホッチキスのような器具で院長先生が私のお腹を縫合しているところでした。院長先生の顔がとても落ち着いた様子だったので、私は「ああ、無事に終わったのだ、さあ目を開けよう」と思いました。

「お母さんが目を覚まされました」

助産師さんの声が聞こえました。目を閉じていたのにどうやって手術の様子を見ていたんだろうと私は不思議になりました。そもそも顔の前にカーテンがかかっていましたから見れるはずもないのですけれど。

その病院では、赤ちゃんが生まれる度に、「ハッピーバースデー」の音楽が流れるのが常でした。

でもやはり、どんなに待っても、それは流れませんでした。

私は現実を確かめる為に顔を横に向けました。目線の遠く先に小さな赤ちゃんが横たわっているのが見えました。決して目を開けることのない横顔、決して産声を上げることのない静かな赤ちゃんが、そこには居ました。看護師さんの一人が咄嗟に私の目の横に手を当てがい、視線を遮りました。その切ない優しさが引き金になり、私の目から涙が溢れました。

あの時の「バイバイ」は、次男からのお別れのしるしだったのだと思いました。

分娩室から移動ベッドで運ばれるとき、時計が目に入りました。5時過ぎだったと記憶しています。随分と長い時間がかかったのだなと、他人事のように考えていました。

沢山の悲しい目に見送られて、私は個室へと運ばれました。

神様、どうか、この愚かな母親をお赦しください。

あなたの慈しみの目をこの小さな私に注いでください。

心から祈ります、


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