うまれることと死ぬこととvol.6

病室には夫だけが付き添いました。

只々、私は天井を見つめていました。夫の悲しみといたわりと優しさのこもった目が私に注がれていましたが、私は何と言っていいのかわかりませんでした。沈黙の時間が流れていました。

「赤ちゃんを連れてきてもらう?」夫が聞いても、答えることができませんでした。

私は自分の罪の重さに押しつぶされそうだったのです。私には赤ちゃんの亡骸を抱く資格などないのだと思いました。

どれだけの時間が経ったのかわかりません。

私の頭の中で様々な感情や考えが通り過ぎました。

 

ふと、「お母さんに抱っこしてもらえない赤ちゃんは、なんて可哀想なのだろう」という言葉が私の頭の中にやって来ました。その言葉は通り過ぎず、ずっと私の頭の中に居座りました。

その時、4歳の長男が母に手を引かれて病室に入ってきました。そして「お母さん!」と嬉しそうに私のベッドに駆け寄ろうとしました。

「生まれたばかりの赤ちゃんを、真っ先に抱っこしてあげなくてはいけない。」

私は自分のやるべきことがはっきりと分かりました。私は咄嗟に「もう少し待ってて」と母と息子に言い、夫に、「赤ちゃんを連れてきて。」と頼みました。

自分でも驚くほどに素早く、そして驚くほどにしわがれた声でした。

 

「良かったねえ、ママが抱っこしてくれますよ~」

看護師長さんが踊るように、あやすように、真っ白い産着を着た赤ちゃんを抱っこして病室に入ってきました。

「大きい赤ちゃんですよー。とっても綺麗。ほら、おちんちんもちゃんと付いてるよ。」

明るく話す看護師長さんの目には涙がいっぱいに溜まっていました。彼女は赤ちゃんを私の右胸にそっと横たえてくれました。私は点滴の管や様々な装置につながれていたので上半身すら起こすことが出来ませんでしたが、必死で我が子を見ようと頭を上げました。

すべすべの肌は産湯のいい匂いがしました。おでこがとても広くて、髪はクルクルと縮れていました。産着をめくると、愛らしい小さなおちんちんと丸い干しイチジクのような袋がちゃんと付いていました。温かくて、柔らかくて、愛おしい我が子。頬、額、小さな掌、足の裏、鼻、私は何度も何度もキスを注ぎました。その度に唇に温かな血を感じました。

しっかりと抱きしめると、私は自分が寝ていることを忘れ、病室であることも忘れました。どこか異空間に私は居て、立ち上がって一人赤ちゃんを抱っこしていました。赤ちゃんと私が繋がったような感覚がありました。大きな命の流れと共に、私の中に何かエネルギーのような膨大なものが注がれているような感覚でした。真理とか、宇宙とか、光とか、何かとてつもなく大きなものが風のように私の中に入ってくる感じでした。声にならない声、言葉にならない言葉が私の中に響き渡りました。

「わかったよ、わかったよ」

私は赤ちゃんに答えました。私はしっかりと生きなければいけないと思いました。この子に恥ずかしくない母親になろうと心から思いました。

我に返って夫を見ました。夫は涙を流していました。知り合ってから17年、私は夫の涙を見るのは初めてでした。夫は赤ちゃんを私から受け取ると、堰を切ったように泣きました。必死で抑えようとする気持ちを押し切って嗚咽が漏れ、声を出して泣いていました。

その時の私は知る由もありませんでしたが、手術中、私自身の命も危ない橋を渡っていたのでした。夫は赤ちゃんだけでなく妻をも失うかもしれないという恐怖を味わっていたのでした。

ほどなく、息子と母と義母が入ってきました。息子は満面の笑顔で私に抱きついてきました。干し草のような日向のような匂いがしました。

「わぁ、赤ちゃん、かわいい~」

夫に抱かれた赤ちゃんを嬉しそうに覗き込みながらも、息子はどこか不思議そうな顔をしていました。私は何と言うべきか少し迷いましたが、すぐに「赤ちゃんは生まれたけれど死んでしまったんだよ」と言いました。その時、前日の夕日がまざまざと思い浮かびました。

「きっと赤ちゃんは、昨日見た、あの金色のお日様になったんだよ。」

咄嗟に出た私の言葉に、息子は「ああそうか」とすんなりと納得していました。そして、夫から赤ちゃんを受け取ると抱っこしてキスをしました。それから母も義母も義父も私の妹も、皆が代わる代わる赤ちゃんを抱っこしてはキスをしました。皆、泣きながら、赤ちゃんを祝福していました。

 

その夜は夫だけが病室に泊まることになりました。息子は聞き分けよく母に手を引かれて帰っていきました。夫と私と赤ちゃんの3人だけが静かな病室に残りました。

赤ちゃんの名は、以前から候補に挙げていた「遼(りょう)」と決めました。

その夜は二人で代わる代わる遼ちゃんを抱っこして眠りました。

ああ、このまま朝が来なければいいのにと、その仮初めの幸せを味わっていました。

それは長くて短い、お別れのひとときでした。

 

 

神様、あなたの愛に感謝します。

どうかあの子の魂が、あなたの元にありますように。

 

 


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