うまれることと死ぬこととvol.9

母は息子を連れて毎日病室に通ってくれました。

田んぼの真ん中にポツンと建っている病院でしたから、息子の遊び場は専ら畦道でした。

病室の窓から見える景色は一面黄金に輝く稲穂ばかりです。遠目からもフサフサと重たそうに頭をもたげた稲穂が刈取りを待つばかりの様子でした。時折、風が殺風景な病室に、乾いた稲穂の香りを届けてくれました。

遼ちゃんを失ったあの壮絶な日も、母と義母は息子を連れて畦道を散歩したのでした。

あの日、輸血の血液が慌しく届けられるのを見た母達は待合室で凍りつきました。母達はいたたまれず、恐怖と悲しみで押しつぶされそうになりながら、小さな息子の手を取って外に出たのでした。

真ん中に息子を挟み三人で手を繋いで歩いていると、ふいに息子が「おばあちゃん達も手を繋いで」と言いました。繋いでみると輪になって、思わず笑ってしまったと母達は話してくれました。

「これじゃあまるで踊ってるみたいで歩きにくいよ」と言っても、息子は「いいの、いいの」と笑って手を離すことを許さなかったそうです。母達は一緒に笑いながら涙して、輪になって歩いたのでした。

それを聞いた時、私はまるで自分の目で見たかのようにまざまざとその光景が浮かびました。金色に輝く風の中で、三人が輪になって回りながら歩いていました。その上に目をやると遼ちゃんが浮かんでいました。三人は祝福するように、歌うように遊ぶように、遼ちゃんを囲んで歩いていたのでした。

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母と息子が病室に戻ってくると、息子の手には美しい稲穂が数本握られていました。

「お母さんに、って、引っこ抜いちゃったのよ」

母が笑って言いました。

ベッド脇の小さなテーブルに、息子は稲穂を向かい合わせてハートの形を作っていました。私はそれを静かに見つめていました。

そのハート形の稲穂は私を毎日勇気付けてくれました。日に何度も襲ってくる悲しみと虚しさも、それを見つめると少し落ち着きました。

私の身体は歩けるまでに回復しましたが、手術の後遺症でお腹にガスが溜まりはじめ、圧迫されて苦しくなりました。ガスを抜く薬が処方されましたが楽にはならず、苦しくなる一方でした。

看護師長さんが、「原始的なやり方だけど」と熱い蒸しタオルをビニール袋に入れて持ってきてくれました。ミントの精油の爽やかな香りがして、それをお腹に当てると不思議と楽になりました。

看護師さん達は、タオルが冷める度にそれを届けてくれ、私が少しでも楽になるように心を砕いてくれました。

その夜、私は苦しくて目が覚めました。蒸しタオルを貰おうとナースコールを押しかけて、私はふと自分で取りに行こうと思いました。

病室を出るのは随分と久しぶりでした。ナースステーションを覗くと誰も居ませんでした。

すると、奥の分娩室から看護師長の元気な声が聞こえてきました。

「ほら、頑張って!頑張って!もうちょっとだから、しっかり!」

苦しむ女の人の声も聞こえていました。私は状況を飲み込めず、そのまま立ち尽くしていました。

程なく

「オギャー!オギャー!」

と、産声が聞こえました。

「よかったねぇ!よく頑張ったねぇ!!!」

看護師長さんの声が響きます。嬉しそうな、すすり泣くような声が聞こえました。小さく遠慮がちに「ハッピーバースデー」の音楽が流れました。

私は理解しました。なにか壮大で神聖な場に立ち会ったような感動がありました。

私は静かに病室に戻りました。

私の身に何が起ころうとも、私がどんなに悲しく沈んでいようとも、私の周りで日常は御構いなしに流れていました。

私の子が亡くなった瞬間にも、同じ地球上では沢山の産声が上がったのだと思いました。そして、沢山の死と悲しみも。

どうか世界中の赤ちゃんが無事に産まれてほしい、と心から思いました。心から祈りました。

そして、ただただ、涙がとめどなく流れました。

 

神様、私はあの時、あなたの愛を感じていたのだと思います。

どうかこれからも私と共にいてください。

あなたの愛に感謝します。


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