息子の骨折

私の息子は2回骨折をしています。いずれも右足です。

一度目は小学4年生の秋、公園でサッカーをしている最中でした。友達の蹴ったボールを軽く受けた時、不意に踝付近に激痛が走ったのです。特に強いボールというわけでもなかったし、変な受け方をしたわけでもありませんでした。その頃は親子共々サッカーに夢中で、息子は毎日毎日ボールばかり蹴っていましたから、疲労骨折だったのかもしれません。

病院の診療時間はとっくに過ぎており、それほど腫れてもいなかったので、その日は足首を固定するサポーターを買って、湿布をして済ませました。翌朝整形外科にかかると、特に骨に異常は無く、必要なら松葉杖を貸しますが、という程度の診断でした。夫も私もすっかり軽く見て、骨折していないのなら大したことはないとタカを括っておりました。

そして、その後も痛む足を庇う息子に対して「大袈裟な」という穿った見方になってしまいました。

大体において私自身が「気合」「根性」「甘やかしてはいけない」で育てられてきたので、基本的に子供の痛みに(自分の痛みにすら)寄り添うという感覚に欠けていました。夫は夫で、自分の感情や痛みを味わわないように回線を切断しているようなところがあり(笑)、夫婦揃って子供の痛みに共感することが出来ませんでした。

骨折もしていないのに松葉杖なんて大袈裟だ、恥ずかしい、甘やかしすぎだ、という変な体裁が私達夫婦にはありました。そんな親の雰囲気を察してか、息子も面倒くさいと松葉杖をやめ、足を引きずりながら自分で学校にも行き(送ってやれよ、親!)、ついには公園でも遊び始めました(えーん、止めろよ、親っ!!)。足を引きずりながらサッカーをして遊ぶ息子を、お友達の親は心配そうに見ていましたが、私達は寧ろ「右足が痛いなら左足で蹴れるように練習しろ」と、サッカーの練習までさせていました。本当に頭がおかしかったのだと思います。どれだけサッカーに支配され、どれだけ痛みに対して不感症な親だったのでしょうか。本当にその頃の自分が悲しいです。

毎日湿布とサポーターの固定を欠かさずにやっていたことだけは、(こんなバカ親ですが)せめてもの救いだったと思います。

2週間が経ちましたが、息子の足は一向に良くなりませんでした。足を引きずって歩く息子に、痛いのかと聞けば、「そこまで痛くはない」と答えます。不感症な親に育てられた息子は、やはりもれなく不感症なのでした。痛くないのなら足を引きずるのをやめなさい、癖になってしまっているよ、と私達は注意すらしていました。

そんなある日、お友達のお母さんから、病院を変えて再度診断してもらってはと遠慮がちに勧められました。私の目から、こびりついていた鱗がバラバラと剥がれ落ちたようでした。私達の中に初めて医者の診断を疑うという視点が生まれたのです。

早速別の病院にかかると、レントゲンには明らかにひびが映っており、なんと剥離骨折もしていたことが判明しました。しかも足首には成長骨という、足の成長を司る大切な骨があり、悪くすると足の成長が止まってしまうのだということでした。私達はやっと、事の重大さに気付きました。

二週間も経過していた為、既に骨のひびは治りかけており、足首をサポーターで固定していたことは良い判断だったと医者に励まされて帰りました。

私はショックで打ちのめされました。最初の病院の誤診を糾弾する気持ちがむくむくと湧いてきましたが、すぐにその外側に向いた矢印が別の思いに飲み込まれました。私達自身の言動が蘇り、全てそのまま私達の頭上に降り注がれて、情けなさと悔しさと恥ずかしさでいっぱいになったのです。

問題は最初の病院がどれだけ藪医者だったのかということよりも、私達夫婦がどれだけ子供の声を聞いてやれなかったか、という点にありました。有名な総合病院の外科という肩書に惑わされ、痛いという子供の声、足を引きずっているという事実よりも、医者の誤診の方を信じたわけです。本当に恐ろしいことだと思いました。

神様が息子の体を使って、愚かな私達の目を覚まさせてくれたのだと思います。親として、いや人間として未熟すぎる私達を、神様はまだ取り返しのつく形で、しかも強烈な罪悪感と共に一番効果的な一撃によって、諭してくれたのです。私は本当にその頃の自分自身を悔い改めます。

二度目の骨折は中学2年生の夏のことです。息子の捻くれた心の名残、最後の「反抗期」とも呼べる出来事でした。

7歳離れた妹の気ままな態度に怒り、それでも親に許されていることに対して、「ずるい」「自分はこんなに我慢しているのに」といった心の叫びが引き起こした骨折です。息子は腹を立てて駐車場の鉄の車止めを思い切り蹴飛ばしたのでした。

自分の体が壊れてもいい、台無しにしてやる、どうなってもいい、という腹立ち紛れの幼い気持ちだったと思います。しかし実はその4日後には、彼が一番情熱を傾けている卓球の大きな大会が控えていました。県の総合体育大会の地区予選です。本当にくだらない一時の感情で、今まで何ヶ月にもわたって注いできた努力と情熱を無駄にしたのです。息子を支えてくれた仲間や先生、先輩後輩達の期待や心を踏みにじる行為でもありました。

右足の指の付け根がみるみるうちに腫れてきて痛み、普通の状態ではないことは一目でわかりました。彼はすぐに我に返り、心の底から後悔しました。たとえ骨折までいかなかったとしても、4日後の試合までに回復することは絶望的だと自分の体で感じていたのです。

その夜、息子は泣きながら必死で祈っていました。自分の体を腹いせの道具として使ったことを心から悔いて、自分の捻くれた悪い心を取り去ってくださいと祈っていました。

翌朝一番で整形外科にかかると、レントゲンには薄っすらとひびらしきものが映っていました。「骨折疑い」という微妙な診断です。取り外し可能なギブスを付けられ、2週間の安静を言い渡されました。

さぞ落ち込むだろうと思いきや、意外にも息子はさっぱりとした顔をしていました。寧ろ腹が決まったという感じでした。

「どんなに痛くても、試合には出たい。どんな結果でも受け入れる。」

息子は固く心に決めていました。取り外し可能なギブスだったことも彼にとっては幸運でした。

どうか奇跡を起こしてください、足の痛みを和らげてください、驚くべき回復力で怪我を癒してください、愚かな自分を赦してください、どうか主よ、共にいてください・・・・

息子は四六時中祈っていました。それまで、神様を信じ始めていたとはいえ、そこまで本気で祈ることは無かったと思います。

私も一緒に祈りました。

愚かな母親、愚かな息子。人間はいつでも神様を試し、愚かな行為をしては神に裁かれ許しを請うのです。悪魔はいつもそのような人間の愚かさの中に入り込み、人間を傷付け、台無しにして苦しめるのです。本当に私達は悪魔を退ける為に、悪魔の入り込む自分自身の「愚かさ」を完全に取り除かなければなりません。

息子は毎朝起きては祈り、学校でも休み時間の度に祈り、夜には一日の感謝を捧げてから眠りました。すると驚くべきことに、一日一日、痛みと腫れが引いていったのです。笑われるかもしれませんが、祈りによって息子の治癒力が倍速で進んでいるような感覚がありました。もしかしたら、本当に4日間で完全に回復してしまうのかもしれない、と思うほどでした。

試合の当日が来ました。さすがに足の痛みと腫れは依然ありましたが、痛む部分をテーピングでしっかりと固定し、サポーターをして試合に臨むことができました。踏み込んだ時に痛みは走るようでしたが、見ている分には問題なく動くようでした。

この大会は、2日間に分かれており、とりあえずその日の試合は4回勝てば次のステージへ進めるという大会でした。

誰もが一試合すら勝つことは無理だと思っていました。試合に出られただけで十分だと、普通ならそう励ますところです。しかし息子は心の底から奇跡を、神様を信じて疑いませんでした。そして、第一試合、第二試合と勝ち進みました。その大会は三年生中心の大会だったので、殆どが一学年上の生徒で、勝ち進めば進むほどに力の大きさを感じました。それでも彼は、なかなか勝敗が決まらない長く苦しい試合でも、痛みを感じさせない動きで勝ち進みました。

残念ながら4試合目で彼は敗退してしまいましたが、強い相手に素晴らしい健闘ぶりでした。この経験は彼の中で確実に神様の存在を気付かせ、信仰を根付かせました。

そうして、3ヶ月後の秋の大会では、怪我も完全に回復し、彼の力は最大限に発揮されました。

キリスト教で言うところの「聖霊に満たされた状態」だったと思います。間違いなく大きな力が働き、彼の実力以上のものが発揮されていました。

気付けば、息子は準々決勝にまで進んでいました。そして、なんと3位に入賞してしまったのでした!それはどれくらい快挙かというと、県大会常連校が集う、県の中でも1、2を争う強豪地区の3位入賞なのです。たった1年半しかキャリアの無い、弱小卓球部の息子が、まさかの成績でした。

この骨折により、息子の中に「信仰」が固く根付いただけでなく、彼の心の捻じれや歪みが綺麗に消え去りました。「成長」では片づけられない、情緒の安定と心の平安、物事への静かな理解が、今の彼にはあります。

一度目の骨折は私達親への、そして二度目の骨折は息子自身への大きな気付きと悟りのギフトを与えてくれました。更に息子は「信仰」という何にも代えがたい強い武器を得るに至ったのです。

神様はいつでも私達をご覧になり、私達に一番良い物をくださるのだと思いました。正しく裁きを与え、いつでも悔い改めるチャンスを与えて下さる神様。全てを益に変えてくださる神様を心から讃えます。

どうかこれからも、神様が私達と共にいてくださいますように。

一人でも多くの人が神様の愛に気付くことが出来ますように祈ります。

 

 

 


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中