私達が放射能について本当に知らなければならないことは

あの恐ろしい3.11、東日本大震災から6年が経ちました。

本当に多くの命が奪われ、多くの財産が奪われ、多くの幸せが奪われました。

いまだに落ち着かない仮設住宅や避難先で、不安いっぱいの毎日を過ごされている方も大勢いらっしゃると思います。その方々が一日も早く落ち着いた生活ができますように心から祈ります。

一方で、今現在は特に不自由を感じていない地域の方々は、既に記憶が薄れ、日々の生活に流されているのが現状でしょう。私もこちらに含まれます。

6年前に気にしていた食べ物の産地や水のこと、瓦礫の行方、除染、子供への影響などなど、今や考えることすら稀ではないでしょうか。

不安が無くなるということは良いことです。

では、あの時、一体何があったのでしょうか。

そして、あの時、私達を苦しめていた放射能の恐怖は、いま一体どこにいったのでしょうか。

確か放射能の半減期は、気の遠くなるような長い長い年月だったはずです。東日本に住む人々、特に福島近郊やホットスポットと呼ばれる場所に住んでいた人々は、直後の被爆だけでなく、二次被爆、三次被爆も恐れていたのです。

そのとき私達は立ち止まって広島・長崎を考えるべきでした。

原爆の直撃を受けて、おびただしい死者怪我人で埋め尽くされたあの地は、戦後復興し、除染もせずに沢山の人々が生活し、子供を産み育て、観光地となり、多くの人が訪れ、農産物が出荷されました。皮肉なことに、いや、何の疑問も無く、3.11の避難場所として里帰りする人も沢山いました。広島・長崎の放射能のことを不安視する声は何故か今まで一度も聞いたことがありません。

原発事故と原爆の直撃では、その土地に及ぼす放射能の影響は、一体どちらが大きいのですか?誰か教えてください。

そろそろ私達は気付き始めます。

なにかおかしいぞ、と。

本当に、この何とも言えない違和感に、いい加減私達は気付くべきなのです。

是非公正な目で、以下のリンクを読んでみてください。

▶RAPTブログ読者の証言〈VOL.3〉 3.11の被曝回避のために大金をかけて岡山に移住し、余計に心身ともに破壊された40代女性

放射能被害を避けて、西東京から岡山に自主避難した母子の体験談です。こういう体験談はなかなか見聞きする機会が無いと思いますので、穿った見方をせずに、とにかく読んでみてほしいです。

私はこの体験談を語ってくださっている方と話したことがありますが、この話に嘘はないと断言できます。

皆さんは、どう感じられましたか?

皆さんに大きな気付きと悟りという、神様からの祝福がありますように。

心から祈ります。


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