お葬式を考える

私は昔からお葬式が嫌いです。

お墓も嫌い。

まあ、お葬式もお墓も好きな人はそうそう居ないでしょうけれど。

特に、経験上最も多い仏教のお葬式が本当に苦手で、セレモニーホールの様なところでやるものは一刻も早く逃げ出したいような気持ちになります。

まずはお経が怖いし不快、あの独特な雰囲気やしきたりも落ち着かなく、故人を悼むことに集中出来ません。なんというか、偽善的な臭いにいたたまれないのです。

二度ほどプロテスタントのお葬式に参列したことがあるのですが、仏教式と違って明るいというか、嫌な感じがしませんでした。賛美歌を心を込めて皆で歌って送るのは、とても清々しい気分でした。

しかし、その頃の私はクリスチャンではなかったので、その選択肢は無いなと思っていました。

でも、考えてみれば仏教徒でも無いわけです。普段の生活で仏教的要素、1ミリも無いですから。

誰かのお葬式に参列する度に、自分が死んだ時にはいわゆる典型的なお葬式は絶対に嫌だと思っていましたし、お葬式自体要らないと思っていました。

私は10年前に子供を亡くし、思いがけず早い時期にこのお葬式問題に直面しました。

▶うまれることと死ぬこととvol.5

▶うまれることと死ぬこととvol.6

▶うまれることと死ぬこととvol.7

▶うまれることと死ぬこととvol.8

▶うまれることと死ぬこととvol.9

出産時の事故で私自身の回復も待たなければならなかった為、子供が亡くなってから2週間以上の猶予がありました。お葬式について夫婦でじっくり考えることができたことは幸いでした。

両家の親達も夫も、私の心と身体を気遣い、有難いことに私の意思を一番に尊重してくれました。

それどころか、寧ろ誰もが仏教的なお葬式を望んでいませんでした。結局皆、心の中で感じていることは同じなんですよね。

私はかねてからの違和感を全て排除した結果、自宅で手作りの祭壇(棺を置く台)を作って飾り、お坊さんなどを一切呼ばず、結婚式で流したエンヤの曲を流して、ただただ死を悼みお別れをする、というやり方を選びました。

▶うまれることと死ぬこととvol.10

▶うまれることと死ぬこととvol.11

誰かの入れ知恵があった訳でもなく、ただ良いと思う方向に進んで行ったらそうなったのです。やはりどう考えても、神様が導いてくださったとしか思えません。

何故ならあの日のお葬式を思い浮かべる度に、不思議と笑みがこぼれるのです。悲壮感が無く、ただ聖なる、清らかな時間でした。

私はお葬式というものが、死者を弔う為のものというよりは、遺された人達が前に進む為の儀式なのだと、はっきりと悟りました。

だから、形式や体裁に囚われず、遺された人達がしっかりとお別れできるよう、心地良いと思うようにしたらいいのです。故人への執着を手放すための儀式でもあるのですから。

そして勿論お墓にも入れませんでした。赤ちゃんのお骨はとても小さいので、リビングにこのようなスペースを作りました。

IMG_6834
我が家のお気に入りのスペースです。

 

赤ちゃんのお骨は家にあっても誰も気持ち悪がったりしませんが、大人が死んだ時はどうだろう、という思いも確かにありました。何しろ、お骨の量が倍以上ありますからね。まあ、家は誰か他人の為にどうこうするものではなく、家族がそれで良いなら良いと思いますけど。

その当時私達夫婦は、どちらかが死んだ時に、遺された方がこの子のお骨をどうするかも含めてお葬式やお墓のことを考えよう、と話していました。

でも私としては、できる限りお墓という方法は取りたくありません。

子供達を墓や骨に縛り付けておくのは、とても気の毒ですし、実物が無くてもその存在を感じることは十分できますから。

そんなことを考えていたのは私だけではなかったようで、私の妹がこんなサイトを教えてくれました。

▶お墓はいらない!墓を持たない人の供養の方法はこの4つ!

▶遺骨はいらない!遺骨が不要な場合にやるべきこと

まさに目から鱗!色んな選択肢が、実はあったのですね!!

ここにある「焼き切り」という方法を読んで、コレだ!!と思いました。教えてくれた妹に感謝です。

完全なる灰にしてもらい、処分もお願いしたら、跡形もなくなるのです。お墓&お骨問題、一気に解消です!スッキリ〜

灰にしてしまえば、もし散骨したいと思ったときにも楽です。散骨は2mm以下に粉骨しないといけない決まりがあるのです。自分で骨を砕くなんて大変そうだし、いい気分ではありませんよね。(勿論、業者に粉骨してもらう方法もあります)

▶散骨のやり方はこれ!個人で散骨する場合は要注意!

多少お金はかかりますが、普通の葬式をすることを思えば安いものです。今既にあるお墓のお骨の処理も、この方法で解決できますね。

また、樹木葬は一見良さそうに思えますが、結局はお墓が樹木に置き換わっただけですし、ちょっと怖い感じがするのは私だけでしょうか・・・

今の私はクリスチャンなので、お葬式はキリスト教に則って、参列者で賛美歌を歌って送っていただければ十分です。エンヤは卒業しました(笑)。

教会も特に通っていませんから、牧師さんにも来ていただかなくて良いですし。

そこら辺は、それこそ「遺された人達が前に進むために」必要な儀式をすれば良いと思います。

そして焼き切って灰にしてもらい、処分してもらい、土に還っていくならば、どれだけ軽やかでしょうか。

これ、両家の親達にも話しましたが、私の父親は諸手を挙げて賛成でした。母にはまだ話していませんが、かねてからお墓やお葬式は嫌だと言っていましたから、間違いなく賛成でしょう。

義母は、今は考えたくないという感じでした。義父にはまだ話していませんが、それなりの地位にあった人なので、いわゆる一般的な盛大なお葬式を望んでいるような気もします・・・

夫は長男なので、これからは喪主問題も出て来ますね。

ともあれ、誰よりも元気に長生きしてもらい、余分な人間関係が削ぎ落とされて、本当に心から死を悼む家族と近い友人達だけで送ることができたらいいですよね。それこそが本来のお葬式だと私は思うのです。

 

どうか神様、これからも知恵を与え導いてください。

大いなる主の愛に感謝します。

 

皆さんに命の種が蒔かれますことをお祈り致します。


お葬式を考える」への2件のフィードバック

  1. 私は7年前に祖父を亡くしたのですが、葬式のあの雰囲気は嫌いでした。
    普段は顔を合わせない親族がそのときばかりはやってきて形式的な挨拶をしたり、お香典がどうだとかいったあの形式感は中学生ながらに嫌でした。
    私もお墓は縛り付けるものでしかないと思いました。私の祖父は家でじっとしていられない人だったので、どうもそのような感じがしていました。
    故人を弔い遺族が前に進める葬式、本当に大事だと思います。
    現に私はいつまでも悲しみや悔やみばかりを引きづる経験をしました。
    家族にはお坊さんは一切呼ばないように言っておきました。祖父の7回忌の法事でもう懲りたので。
    本日は数年間考えてきた葬式の本質に対する解答を得られました。
    そして本当にこれでいいんだ、と思えました。ありがとうございます。
    どうか執筆者様とそのご家族の方々の毎日が豊かなものとなりますように。

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    1. bibiliyablog様
      コメント有難うございます。
      同じような違和感を感じていらっしゃったのですね。共感してくださり、とても嬉しいです。
      心よりも形式や体裁に重きが置かれるのはおかしいですし、何よりも無宗教の人が自動的に仏教式に流れる感じも違和感ですよね。それしか選択肢が無いみたいに思うのですよね。そのレールから一人でも多くの人が外れることができますように。
      bibiliyablogさんのブログ、先ほど拝見致しました。素敵ですね。これからも度々訪問させていただきます。
      どうか主のお導きと恵みがありますように。

      いいね

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