はばたけ想像の世界へ

以前の記事にもチラリと書きましたが(▶聖書のススメ)、私がゲームに反対なので、我が家にはDSなどの持ち歩きできるゲームはありません。

夫はスマホのゲームやパソコンのゲームをやっていますけどね。

しかし、目は一点を見つめ、身体は微動だにしないのに、指先だけはものすごい素早さで動いている様子を見ると、いつも怖いな〜と思います(笑)

ゲームをやっている最中の表情も、なんかゾッとしてしまって私は嫌いです。

それらをひっくるめて、本当にゲームは好きになれません。

その昔、夫が友達から譲り受けたPS2、それから息子が小学生の時に周りに合わせて買ったWiiも、ソフトは2、3ありますが、いま家で登場することはまずありません。

ゲームは夫の実家に親戚一同が集まった時の、子供達の夜の余興という位置づけです。

息子は小学生時代に友達に合わせてゲームの世界に入り、その永遠に終わらないループや虚しさを既に味わっていますから、いまや執着は無いようです。しかし小学2年生になった娘は少しだけしかその世界を味わったことが無い為、やはり興味があります。彼女の強い要望で息子が以前やっていた「マインクラフト」という家や街を作っていくパソコンゲームだけを条件付きでやらせています。この先どのように彼女の心が動いていくのか、気を付けて見ていこうと思います。

ゲームをやらないと話に入れない、ゲームを知らないと仲間で浮くのではという思い込みから、息子の時には中途半端に仲間入りさせてしまいましたが、友達との関係性は結局は自分自身の内なる問題であり、ゲームを知っていようが持っていようが、合わない人とは合わないし、ゲームを介さなくても仲良くできる人とは仲良くできるのだと、親子で良〜くわかりました。

娘は私に頼んでも絶対にゲームを買ってもらえないと分かってか、夫のDIYの木切れで手作りのゲーム的なものを作りました(笑)

IMG_6924
その名も「なんでもパッド」

以前、スマホを欲しがっていた時も同じようにスマホを作っていました。その名も「なんでもスマホ」

「なんでも」が特徴的ですね(笑)

で、木切れを見つけては作っていたので・・・

img_6923.jpg

いろんなサイズ。取り揃えております。(作り雑だな〜)

で、これで何ができるかというと、本当にゲームができるのです!

「なんでもパッド」という名前の通り、これを使うとなんでも思い通りになるのだそうです。例えば好きなドレスを選んで実際に着替えたり、行きたい場所を検索してそこにワープしたり、乗り物を出して実際に乗ったり。(その際なんでもパッドは操縦桿に早変わり)、実に色々なことができる優れモノなのです(笑)

娘は慣れた手つきで、様々なアイコンをタップして「なんでもパッド」を操作します。この部分は、しっかり現代っ子ですね。

なんか、ゲームをやっているよりも楽しそうですよ・・・

ミヒャエルエンデの「モモ」というお話があります。有名ですね。

img_6925.jpg
今見ると絵が随分と悪魔的です・・・

子供の頃、大好きで良く読んでいました。

この中にもモモと仲間の子供達が想像力を使って遊んでいるシーンがあります。子供達は本当に楽しそうです。1973年に書かれた物語ですが、いつの時代もどこの国でも、やっぱり子供は想像力を膨らませて遊ぶのが楽しいんですよね。

やっぱりゲームは想像力を奪うものだと思います。

決まった枠の中での想像力と探究心は、本来無限に広がり自由に羽ばたいていく力のあるものを、広い檻に入れて飼い慣らすようなものだと思うのです。

とても勿体無いです。

「モモ」では「時間泥棒」が出てきますが、奪われるのは時間だけでは無いということを考えなければなりません。

皆さんはどう思われますか?

どうぞ皆さんに神様からの豊かな祝福と愛が注がれますように。


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