雨の日お家で思うこと

春から夏へと向かう日々。昨日も今日も雨です。

こんな日は洗濯物が家の中を占拠。

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お洗濯干しは、娘の大好きなお手伝いです

 

娘が喜んでお手伝い。

「毎日お手伝いするから、1週間10円お小遣い頂戴〜」

というので、笑ってしまいました。

夫がふざけて

「じゃあ3週間で10円にしてあげるよ!」

と言うと、

「ヤッター!!!」

と、まんまと騙されて喜ぶ娘・・・

朝三暮四を目の当たりにしております。

 

一年前の春に引っ越してきて、庭づくりに取り掛かり始めたのが4月末。

元々お爺さんが一人で住んでいたこの家は、どこまでも品良くシンプルに、手入れしやすいようになっていました。

どのように我が家らしく作っていったらいいのやらイメージも湧かず、とにかく玄関側に敷き詰められていた大量の砂利をどけてみましたが、これが結構な重労働。

土が露わになった時には感動しました。

更に埋まった小石を取り除き、耕すのにも一苦労。

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かなりの重労働でした。

 

一年経った庭は、このように成長しています。

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まだまだ土はむき出しですが、だいぶ賑やかになってきました。
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小さかったバラの苗も、繁って沢山の花を咲かせてくれています。

 

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こんなに小さかったラベンダーの苗も

 

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こんなに繁って蕾を沢山持っています。

 

 

まだまだ不完全で成長途中。でもたったの一年間で、ここまで成長できるのですね。

まるで私の信仰のようです。

この一年、

娘も息子も大きくなりました。

何より私が変わりました。

 

逆に私の父はこの数か月で急激に衰えてしまい、認知症が進んでしまったようです。

我が家にいた頃の約半年間で、わからないながらも聖書を読み、神様に祈ることを続けていた父ですが、真に悔い改めるという部分でつまずいてしまいました。

「悔い」の部分で留まり、「改める」まで行かないのです。

それはサタンの領域に留まることを意味します。サタンは罪に入ってくるからです。

▶VOL.158 心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる

「改める」ことで、「悔い」から抜け出し、神様によって新しい自分に作りかえてもらって生まれ変わり、一歩を進み出すのです。

その一歩の差はとてつもなく大きいと思いました。

また、悔いていながらも、一方で自分の正当性にしがみつき、「自分だって頑張ってきたんだから言われる筋合いは無い」「自分は悪くない」と思う気持ちも拭いきれず、相手の非や自分の不遇ばかりに目が行ってしまうのです。

母も同じで、まるで自分の過ちを認めてしまうと損をするというか、自分の善までが掻き消されてしまうと思っているかのように頑なです。旧約聖書をおとぎ話のように読み、自分の耳に優しい聖句だけを喜び、厳しく聞こえる▶RAPTブログに耳を塞いでしまいます。

父も母も、一方では正しく、善を行い、一方では過ちを犯し、悪を行なっていたのです。(犯罪と言う意味ではありません)

罪や悪はどうしたって罪であり悪なのであって、別の大きな善を行なうことで取り替えたり覆い隠すことはできません。それ自体を悔い改めなければ消えることはありません。

父と母はそれらをごちゃ混ぜにしてしまい、分けることができません。

 

大きな失意の出来事の後に、魂が枯れて死んだように生きていた父は、聖書を読み始めたことで息を吹き返したようになり、生きる意味や喜びを思い出し、みるみる元気になっていったのです。確実に神様の存在を感じていた人が、その喜びを手放してさえ守りたいものはどれだけ価値あるものなのでしょうか。

母も一年前には聖書を通読し、心から神様への感謝と喜びに満たされていたのです。その時には驚くほどに物事が好転し、人生に光と希望とを感じて生きていたのです。実際には今でも光と希望に満ちているのですが、本人には感じられません。

父と母に共通している点は、プライドを手放せないということです。自分自身を一番苦しめているその厄介な重荷を死守しようとし、結果、信仰が衰退してしまっているのです。母に至っては神様に疑いを抱き、今では神様を信じている私を嘲笑うような発言をすることすらあります。

まさに、新約聖書にある「汚れた霊が戻って来る」(ルカ11章24節)の状態です。


「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」

ルカによる福音書11章24-26より


 

神様を都合の良いときだけ頼り、辛い時だけの癒し処としてだけ使うことの恐ろしさと虚しさを見せてもらいました。

この両親の為に、心から祈ります。

そしてRAPTブログがこの世の隅々まで広がり、この世の嘘や矛盾に人々が目を向け、真の神様の御言葉が全地を覆いますように。

一人でも多くの人が神様と繋がることを心から祈ります。

 

皆さんに神様からの豊かな恵みが注がれますように。


雨の日お家で思うこと」への2件のフィードバック

  1. いつも拝見させていただいております。
    今回もとても心に響き、涙が出ました。
    あなたの悟りをこうして記事にしてくださることに心から感謝します。
    あなたを御使いになられる主に心から感謝します。主がとこしえに褒め称えられますように。
    あなた様のお父様とお母様の躓きと停滞が、手に取るように見え、私自身の中にもあるその塵と悪の根を明確に見つけることができました。思いを新たにし、その悪の根を焼き付くしてもらえるように祈り求めます。有難うございました。

    あなた様とRAPT様、共に御心を成しておられる方々に益々の悟りが与えられ、益々大きく御心を成して栄えていかれますように。心から祈ります。

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  2. ゆうきのでるこうちゃん梨さん、
    いつもコメントをありがとうございます。
    祈ることができることこそ祝福ですよね。私も貴女も、命ある限り祈り続けていられますように。
    ゆうきのでるこうちゃん梨さんに、神様からの豊かな恵みと祝福が注がれますように、心からお祈りいたします。

    いいね

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