梨園の労働者のつぶやき

気持ちの良い晴れです。

今日も梨園でアルバイトしてきました。

今の時期は摘果です。

受粉から約1ヶ月半で、こんなにも大きく育ちました。

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ミニトマトくらいの大きさに育っています。

 

梨の実がたわわに実っている様は、とても可愛いです。

しかし、作業は上を向いたまま両手を上に挙げ続けるという、受粉よりも更に過酷な作業です。茂った葉を掻き分け掻き分け、一つの実の房からたった一つだけを残していきます。

摘果鋏で切り落として行く音が梨園に鳴り響きます。

ベテランさんは、パツパツパツと小気味よく八分音符くらい、2年目の私はパツンパツンパツン・・・四分音符ですね(笑)

そこに梨の実が落ちる音や踏み台を引きずる音、草を踏みしめる長靴の音が定期的に加わり、

パツパツパツ、バラバラバラ

パツンパツンパツン、ガガガ、ゴゴゴ

ギュッギュッ、ミシミシ

パツパツパツン・・・

 

ああ、全ては音楽だー

詩的な思いに耽りながら作業は続きます(笑)

どの実も甲乙つけがたい程に良い実ばかりの房もあれば、どれもこれも曲がったり貧弱だったりの悪い実ばかりの房もあります。

一枝全部がチンチクリンの実だったり、せっかく形良く大きく育っているのに位置が悪かったり病気にかかっていたり。なんだか人の世の悲哀を見ているような気分になります。

良い実ばかりの房のとき、どこからどう見ても申し分のない実を切り取ってしまうのが惜しく、慣れてきた今でもほんのりと躊躇いを感じてしまいます。

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並べてみると可愛いですね。どれが良い実かわかりますか?

 

この後もう少し育ててから最終的に大きく育てる実を決めて、更に数を減らすのですから、本当に過酷な生存競争です。(といっても食べられちゃうんですけどね、梨は)

これは、一つ一つの梨を大きく美味しく育てるための知恵です。

 

しかし、これを神様と人間に置き換えてみると、この法則が当てはまりません。

良い実は全て残され、悪い実は全て刈り取られ捨てられるからです。

神様から見て良い実とはどんな人を指すのでしょうか。決して形が美しいことでも、大きいことでも、住んでいる場所が良いということでもありません。逆にそれらは神様から後からでも豊かに与えられるものです。

ただひたすら、神様を信じ、愛し、従う人のことを言うのです。

良い実ばかりの房に、まさに鋏を入れようとしながら、「神様ならばこれ全部を喜んで残され、全てを立派に大きく育てられるのだなぁ」と、静かに感動してしまいました。

神様からの愛と恵みは有限ではなく、私達が良い実であれば無限に注がれます。

少ないパイの奪い合いをする必要がないから、嫉妬することも抜け駆けすることも、蹴落とすための陰謀を巡らせることもありません。ただそれぞれが一心に神様を愛して、神様に喜ばれる生き方をすれば良いだけです。そうすれば、ちゃんとそれぞれが豊かに与えられるのです。

本当にありがたいことだなぁと思いました。

私の周りを思い返しながら、あの人もあの人もあの人も、本当の神様と繋がって共に救われたら良いなぁと願ってやみません。

余計なお世話かもしれませんが、祈らずには居られないのです。

 

私は、梨園ならぬ「ぶどう園の労働者のたとえ」(マタイによる福音書20章)が大好きです。


“「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者をやとうために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、他の人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った、、最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」”


 

これを初めて読んだ時の私は、朝からの労働者の考えに同感してしまい、このたとえがイマイチ理解出来ませんでした。彼らの言い分に間違いは無いではないか、と思っていたのです。

本当にバリバリの資本主義の頭でした。

ある日ふと、この真の意味に気付いた時に、爆発的に感動して涙が溢れ出したのを思い出します。

神様は本当に一人でも多くの人を救いたいと願っておられるのですね。

 

たった一年で、私は本当に成長できました。

皆さんはどう感じられましたか?

 

とは言え、私こと梨園の労働者は、この世の理に則って時給で働いているのですけどね(笑)。そして私はこの仕事が大好きです。

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主よ、あなたを讃え、あなたの愛に感謝します。

皆さんが神様に喜ばれる者となり、豊かに天の恵みを注がれますように。

 


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