ボーンクリスチャンが感じていたこと。そして今

私がお勧めしているRAPTブログで、生まれながらにしてクリスチャンであった方が体験談を寄せているので、ご紹介致します。

ボーンクリスチャン、いわゆる「ボンクリ」であるこの方のお話は、キリスト教の現状が分かり、今キリスト教や宗教に全く関心の無い人達にとっても考えさせられる内容だと思います。

自分は神様とか信じていないし〜・・・という方も、是非最後まで読んでみてください。

以下、リンクに飛ぶ気にならない方のために全文を転載いたします。オリジナルの記事はこちらです。


 

私は、クリスチャンの家庭に生まれましたが、薄い信仰のため、何度も神様から離れて罪を重ね、また、世の中の事も、自分がどのように生きてゆけば良いのかもわからず、迷子の羊状態で生きてきました。

そのように神様から離れて生きる事がどんなに辛く苦く絶望的な事なのか、はっきりと悟らせ、そしてここまで導かれ、どのように生きるべきなのか教えて下さいました。

長文になってしまいましたが、神様が私たちにされる導きの一例として、皆さんの参考になれれば幸いです。

(世の中の事を知るまで)

私は、家族と親戚の多くは皆カトリック信者という環境で育ち、私も幼児洗礼を受けていました。

家庭環境も、特別裕福なわけではありませんが、不自由なく安定していました。

家族親戚は穏やかで勤勉でしたし、 それなりに愛情にも恵まれて育ってきたと思います。

毎週日曜に教会に通っていましたが特別に厳格なわけではなく、ご飯の前に祈ったり、聖歌を聞いたり生活の中の習慣みたいに思っていました。

なので幼い頃は、漠然とですが、純粋に神様の存在を信じていましたし、部屋に一人で誰もいないのに、誰かにずっと(神様に)見られて恥ずかしくて鼻歌も歌えなかった事もありました。

しかし、ご存知の通り、日本のクリスチャン人口はとても少なく、ものごころがつくころには、自分がまわりと少し違う事ということと、社会の価値観のずれで生きづらさを感じるようになりました。

クリスチャンのはずなのに、心の虚しさや世の中の闇や人に対する恐怖心や、将来の漠然とした心配や不安が常につきまとっていました。

それは幼い頃から心の隅にありましたが、成長するに連れさらに強くなり、頭の中の糸がぐちゃぐちゃに絡まっていくような感じでした。

そして思春期には、人間関係のトラブルから、うつ気味で軽く引きこもり気味になり、いろんな事に気力が湧かず、学校から帰ってから寝る前までTVを何時間も見るなんて時期もありました。

やがて教会も行かなくなり、なにより、日常でお祈りや聖書を読む事もしなかったので、神様からも心が離れ、どんどん心がひねくれていきました。

不思議な事に、キリスト降誕2000年(ミレニアム)のお祝いのミサに、めんどくさいなあと半ばキレ気味でいた帰り際、快晴の空に虹が現れ、まわりの人は盛り上がっているなか、私には見えなかったなんて事もありました。

そして、心身でも様々な罪を犯すようになっていましたが、心の片隅では神様に顔を向けられないような罪悪感がありました。

ただ、その頃は、きっと教会から離れちゃったからだという思いが強かったかもしれません。

そんな頃、祖父の葬儀をきっかけに、自分はこのままでいいのかと思い、幼い自分の平安な頃に戻りたいなという思いから、再び教会に行くようになり、学生の頃には勉強会に参加したり、教会活動にも積極的に参加するようになりました。

個人的にも朝と寝る前のほんの2、3分くらいの教会にある売店の祈りのカードみたいのを買ってお祈りをつづけてみたり、新約聖書を読んでみたり…

(一度、旧約から通読を試みましたが、情けないですがレビ記あたりで挫折しました。)

とにかく、そうして御言葉を改めて味わいながら読んだり、聖歌を歌ったりしていると、今まで適当にやっていた時には感じなかった、喜びがわいて感動を覚えるようになりました。

そして、なんで今までこんなに素晴らしい言葉が身近にあったのに気づかなかったんだろうと思いました。

そのころから生活も楽しくなり、やる気もでてきて良い事がたくさん起こるようになり、もう教会から離れないでずっとまじめに信仰を持って生きていけるだろうと信じて疑いませんでした。

でも、それはラプトさんのような信仰生活ではなく、教会に属しているだけの生ぬるい信仰のままでした。

もっとも、カトリックは教理がずれ、真理から離れてしまってると今ではわかりますが。

当時は、聖書も教理もよくわからない事や疑問はたくさんありましたが、まあいいや、とあまり考えず、快い好きな言葉ばかり探したり、ミサ(礼拝)や教会活動などによく励んでいました。

しだいに教会のグループの親睦のほうが熱心になっていきました。

また、聖霊や悪魔の働きや、霊界についても全く知らず、神様や悪魔でさえ漠然としたもののように考えていました。

今の時代、日本のカトリック教会も、若者の割合も、よく通う数もかなり少ない事もあり、自分はこんなに教会に関わっているからというだけで満足していました。

教会に所属して熱心に通っていただけで神様を知った気になっていたのです。

これらの事は、まさにRAPTさんが以前から世のクリスチャンに対して言っていたとおりで、有料記事は耳の痛い言葉がたくさんありました。

そして、案の定、そのように無知で弱い信仰のため、異性の罪も犯しました。

信者ではない彼氏(現在の夫)と付き合い、性的な関係を持つようになりました。

すると次第に、恋愛中心で、惰性で依存するようになり、仕事も彼の休日に合わせられるような会社に就職しましたが、時に他の異性にも心が惹かれる事もありました。

この時はまだ気付いていませんでしが、この頃からまた徐々に神様から離れていったのでした。

(陰謀論と刑罰の期間)

就職して数年たった頃、 3.11東日本大震災が起こり、余震に怯えながら「神様怖いです助けて下さい!」と心で叫んで、ニュース画面に釘付けになっていたら、 また不思議なことに、 頭の中で「これで終わりではない、はじまりだ」と言う声がして(天使かサタンか謎ですが)、そこから本当にいろいろ始まりました。

彼に勧められてはまったマイケルジャクソンの動画をきっかけに、人工地震や、NWO(ニューワールドオーダー)という言葉を目にし、イルミナティや陰謀論を知りました。

ショックと恐怖で、私は世の中の事を何も知らなかったんだと焦り、とにかく調べまくりました。

それは良かったのですが、 ヴァチカン悪魔崇拝に関する動画が出て来ると、もう頭はパニック状態で、もう何を信じたらいいかわからなくなり、そこでどんな事があっても信じるべき神様の存在すら疑う様になってしまいました。

一度、神様から離れてしまった私を、祈りと、御言葉にふれるよう導き感動を与え、悪魔崇拝の存在を知るまで導かれたにもかかわらず、またもや心が離れてしまったのです。

思い出せば、度々不思議な出来事もあったのに、私は、神の御業を何度も目の当たりにしても信じられないかたくなな民でした。

それは、私の信仰は、カトリック、キリスト教という宗教を重視していたのであって、「神様の愛を信じ、神を愛する」という一番大切な事をないがしろにしてきたからだとはっきりわかります。

そして、その後、妊娠がわかりました。

その瞬間、神様がスッと遠くに行ってしまったように心が寒くなった感じを覚えています。

それからは、常に頭の中は、イルミナティの支配の恐れや無力感や、不安と心配と悩みでいっぱいのうえ、結婚での急な環境の変化や、出産育児の不安と、妊娠がわかった最初の時に、間違いであってほしいと喜べなかった、子どもへの罪悪感や後悔、情けなさ などがいっきに押し寄せてきました。

慣れない家事と育児にも悩み苦しみました。

子どもはとてもかわいいけれど、うまく行かない事が多く、思い描いていたのと違う結婚生活の現状へのいらだちと孤独感でいっぱいで、自分や夫や社会への不平不満がどんどん大きくなるばかりです。

出産後、さらに心配事が増え、ありとあらゆる情報集めに明け暮れました。

予防接種や自然療法、放射能、電磁波、ネトウヨ系政治経済、歴史、自然農、シュタイナーなど、あれもこれも気になり、むさぼるように調べますが、どんどんるつぼにはまっていくようで、何が本当でどうしたらいいのかますますわからなくなります。

ただでさえ少ない睡眠時間をさらに削り、体も常にだるく、精神も病み常に悲観的でした。

一時には、無性に甘いものの中毒になって低血糖症になり、キレやすく、子どもにも怒鳴ったり、叩きそうになる手を力いっぱい自分に当てたりていしました。

これはまずいと思い、なんとか砂糖中毒を断ち切る事ができましたが、その後も、なぜか昔はまった歌やら漫画やらで中毒的に現実逃避ばかりした時もあり、もう何かに依存しなくてはいられませんでした。(既にネット依存でしたが。)

それから、Facebookの内海聡氏の記事や本も何冊か読み、それ関係の勉強会や集まりに参加したこともあります。

何か見いだせるかと思い、内海氏本人にも会いましたが、結局何も得られず、すっきりしないままですが、どんな事も100%信じず、自分で調べて考えなくてはいけないんだと、情報集めに必死でした。

そして、どうにかこの社会を変えるために何かしなくちゃという焦りで、医療、社会毒、食物系、政治、などの記事シェアーして情報拡散したり、 電磁波とか放射能で大変だという記事もアップしてみたり、今思うと逆に人を惑わすような事にもすっかり加担してしまいました。

なのに、反応のない友人の意識のなさに苛立ちを覚えたり、友人がいなくなってももういいと思い、ひたすらそれ関係の記事やコメントにいいねを押してみたり、今思うと病的で意味もなく、友人にとっては迷惑な事だったでしょう。

ガイガーカウンターや電磁波測定器も買い、自然栽培の野菜を購入し化学物質をさけるために買い物に時間をかけ、日々の放射能汚染数値の情報をチェックし、ケムトレイルが撒かれた薄曇りの空をながめてはため息ばかりついていました。

本当に毎日思い煩ってばかりでした。

私はクリスチャンだと思っていたのに、聖書の言葉と反対のことばかり。

「明日何を食べようか、何を着ようか思い煩うな。」(ルカによる福音書:12.22−32/マタイによる福音書:6.25-34)

聖書を深く悟っていなかったので、神様を信じる事ができず不安にかられ、そっちのけでした。

ですが、キリスト教会は悪魔に乗っ取られている系の投稿をみては、複雑な気持ちになりながらも、何とかそれに気づいている者としてそれを逆に利用して世界を変えられないか…、と漠然と考えることが何度かありました。

(RAPTブログへのお導き)

そして妊娠がわかってから、3年がすぎた頃、またしても神様が導きくださいました。

情報仲間がこのブログを教えてくれました。

はじめはあまり期待していなかった(すみません)ものの、写真や映像の音楽(初期の東温の紹介ビデオ)を見ると、心の濁ったのがすーっと風がとおって抜けていくような感覚がありました。

そして、About us に黙示録の聖句があり、はっとしました。

ラプトさんもクリスチャンという事を知り、なんだか家に戻ってきたような安心感と、ここに何かがあるかもしれないという感じがしました。

ラプトブログは毎回、進展があり、どんどんパズルが組み上がっていくように世の中の事が明らかになるので、最終的には見応えのあるラプトブログだけ見る様になりました。

(実際、内海氏、さゆふらっと氏などは、毎回同じような事の繰り返しでした。)

その頃、ネット依存で生活や子育てに支障がでると、夫からネットFacebookの退会を迫られ、唯一情報を共有出来る場と、そこで知り合った仲間を断ち切らなければならない事、今までやってきた事へのプライドを傷つけられたようで、絶望感と怒りがこみあげ、夫と何度も口論するようになりました。

離婚という言葉がでてきた時には、頭の中ではっきり「大っ嫌い」と言う声が聞こえて、自分もそう言っていたり、

そうすると、日に日に不満が強い憎しみと、自暴自棄と、自己嫌悪でどんどん沼底にはまっていきました。

気がつけば、いつも体調や顔色も悪く、目も暗く、 2度目の妊娠で流産もしました。

以前は阻止出来ていた同じ勧誘の軽い詐欺にもひっかかったり、毎日何かに憑かれた様に声を出して泣いていました。

また、悲惨なニュースを見たりすると周りの空気がかわり、何かにじーっとこちらを見られている感覚も度々おぼえました。

今思うと、完全にサタンか悪霊に憑かれて、自分の霊魂もサタンのようになっていたのだと思います。

眠っても悲しい夢をみて、朝起きてもずっと鬱状態で、一日生活するのも辛くなったある時、

いつもの様に夫と口論のなかで、夫が私に、「守護霊か何かがこのままじゃいけないとおまえに言えと誰かが言われているようだ(無宗教ですが、そのような霊感みたいなのがある家系のようです。)」と言われた時、私は直感で神様だと思い、すがる様に

神様助けてください、苦しいです。

もうどうしたらいいかわかりません。

と泣きながら言っていました。

その後、憎しみやしがらみが消えていくまで時間がかかりましたが、ネット依存と情報のるつぼからぬけ出せました。

今思うと、夫を通してネット依存を止めさせ、悔い改めるよう働きかけてくださっていたのだとわかりました。

(信仰のこと)

その数ヶ月後、RAPTブログの有料記事が始まり、

「この世のクリスチャンはほとんど聖書を通読できていないし、せいぜい数分くらいしか深く祈れていない。」という言葉に、全くそうだ!と思い、

また、「聖書で預言された終末は本当に来るのか」とか、「サタンの起源」とか毎回興味をそそられるタイトルに惹かれ、迷いつつも、自分の貯金で払えるまでと購読しつづけました。

購読から数ヶ月たってからですが聖書の通読をスローペースですが始めました。

ですがはじめは、反省すると同時に、一応クリスチャンという変なプライドが抜けず、有料記事の内容も疑ったり、お祈りもほとんどできていませんでした。

変な話、バチカンの悪魔崇拝に付いて知っていたのに、生まれながら通い慣れたカトリック教会や未練や親戚家族の目が気にしていました。

実際、一般のキリスト教会の人たちのはバチカンの悪魔崇拝など全く知らず、純粋に信仰だと思って通っていたし、少くても真実の部分もあるので、これじゃだめなのかなとか思ったりと…

ですが、「悪魔は真実のなかに、少しの嘘を巧妙に織り交ぜて、正しい道から離れさせてしまう。」と、本人は意図としていなくても、無意識にサタンの洗脳によって少しずつ間違った道に外れてしまう事、

また、熱心に通う人ほど教会活動に忙しくなって信仰がそっちのけになったり、コミュニティのせいで離れにくくなっていると言う事を聞いて、本当にその通りだと思いました。

そんな頃、久しぶりに教会活動に熱心に励んでいた教会仲間と会う機会がありましたが、信仰は深まっているよりは離れた生活になっている人もいたり、どう生きていけばよいか皆迷っているようでした。

結局、中途半端なクリスチャンであるがゆえに世の人たちより悩んで生きる事が多いかも しれません。

わたしもでしたが、一歩教会を出れば一般の人と変わらない生活に戻り、通常モードでした。

洗礼を受けただけで安心して 現状の信仰生活で満足してしまっていました。

そして、カトリックだけでなく、私の知っているプロテスタント系教会の牧師も、悪魔の存在は漠然としたの様に話していたり、他の派の人も学生ででき婚をしていたり、本当に純粋なキリスト教会の信仰は破滅状態なのではないかと、思う様になりました。

賛美を歌いたいから教会のミサに行っていましたが、聖書とブログを読んでいると、

生まれた頃から身近にあり何とも思わなかった教会の像や、聖体拝領、聖母崇拝、クリスマス、イースター(イースター前には十字架の崇敬式てのもあります)に違和感を感じ、

これは、本人は意図していなくても(像自体を拝んでるのではなく、情景を黙想して祈るととらえてる)結局、偶像崇拝だよな、と思えるようになり、苦しくなって、今はほとんど教会に足を運ばなくなりました。

(また、マリア信仰がミトラ教の女神信仰からきていて、そのことを知らないカトリック信者は聖母マリアが好きな信者は多いので、一番ここに反感を覚えるかもしれません。私もショックでした。余談ですが、東京カテドラルの地下の納骨堂はなぜかピラミッド三つ並んだ形です。)

聖書を通読するようになって、やっぱり聖書と違う!と目が開けてきてきました。

それに、教会も、熱心にくる若者の数はかなり少ないですが、本当に信仰に熱く、聖霊が働いていれば皆くるはずだとおもい、やっと’教会‘ではなく、”三位一体の神”を信じていかなくてはいけないんだと考えを改め、確信をもてるようになりました。

(変化した事)

このように、真に神様を愛し求めずに、神様の御心を行うというクリスチャンとしての使命も全く知らず自分勝手に生きてきました。

むしろ、世の中にしがみついて、なんとか自分をまわりに合わせようとして余計に苦しくて悩んでばかり。

神様の事もちゃんと知ろうとせず、信仰が弱く、信仰と生活が分裂していました。

RAPTブログを読み続けているうちに、教会に熱心に通っていても、神様との愛の関係がなければ、本当の信仰を持ったクリスチャンではなかったんだと、やっと目が覚めました。

それから、今まで疑問に感じていた世の中の事、自分の人生など、様々な事が少しずつすっきりしてきました。

今までは自分がどう生きてゆけばいいのかわかりませんでしたが、このRAPTブログでは具体的に何をしたら良いのか教えてくれます。

2016年10月以降の有料記事での啓示から、 自分は神様に必要とされていて、「わたしがあなたを選んだから今まで導いてきた」という言葉に号泣で感謝感激し、やっとそこで明け方の祈りをはじめるようになりました。

それからというもの、 急激に心に平安が戻り、目も暗さが消えて、頭痛や体調も良くなり、そして今までなかったくらい信仰が強まっていくのを感じています。

身の回りの状況も良くなり、前より良い環境の家に引っ越し、昨年2人目の子も授かりました。

まだまだな部分もありますが、自分の心と、夫や子どもへの接し方なども改善され、生活の思い煩いや不安感や、昔からの将来の不安、日常の煩い漠然とした不安感も手放せるようになってきて、今までになく、心が軽くなり、

異性の罪の告白をさせていただいてからさらに信仰に力を入れられる様になり、毎回の有料記事で、これが真理の道なのだと信仰を固めることができます。

第167回の有料記事のクリスチャンに対する御言葉では、今までの自分の生き方を振り返ると、神様に対して本当に申し訳ないのと、いかに無知で薄っぺらな信仰であったかと改めて反省しました。

〇RAPT有料記事167(2017年4月29日)良いことは全て体質化し、習慣化しなさい。

以前の私は、神様の歴史や心情をちゃんと知ろうとしなかったにもかかわらず、根拠もなく、小さい頃から教会に行っているし、死んだ後は天国に行くから大丈夫と、のんきで大船に乗った気持ちで、本当に無知で高慢でした。

実際、クリスチャンでもこのように楽天的に考えている人は多いのではないでしょうか。(私のようなボンクリ(代々のクリスチャン。生まれながらに幼児洗礼を受けた「ボーンクリスチャン」の略称)は特に…。)

最後の審判の時に聖ペトロが裏門の鍵を持っていてこっそり入れてくれる、なんて冗談話も聞いた事があります。

(もちろん中にはまじめに信仰生活をしている人や、修道者になった人たちもいましたが。真理にお導きがあるよう祈るばかりです。)

ここで信仰を持ち始めた方たちをみて、いままで神を知らなかった人たちがの方が、真理を理解し、聖霊を受けて悟り、行っています。

本当に「先にいる多くの者は後となり、後にいる多くの者が先になる(マタイによる福音書20章16)」 本当に聖書の言葉どおりだなと感じます。

私は、今はようやく聖書も2回目にはいりました。

今まで自分の言葉でたくさん祈る事をしていないかったので、明け方のお祈りも始めはやっと10分という有様でしたが、子どもの授乳と夜泣きに中断したり、雑念も多いけれど、1時間以上はできる様になりました。

まだまだ足りない事だらけですが、絶対にこれ以上裏切れないと必死にすがりつき、ひたすらついていける様に奮闘中です。

今後もファリサイ派や律法学者にならないよう、私も間違った信仰や不従順を心から悔い改め、よちよち歩きの赤ん坊だと自覚し、立派に成長して、ひたすら神様に近づいて生きたいと思います。

そして今までの行いを巻き返すような、大きな働きができる様に日々祈っていきたいです。

(最後に)

神様は自分勝手なわたしに、神様を離れて生きる事がどんなに不安で辛く、苦しみながら生きる事になるのをわからせてくれました。

本当に、心からの祈りは聞き入れられました。

学生の時、「目を覚ましていなさい。(マタイによる福音書24.36-43 /マルコによる福音書13.32-37)」という箇所読んで、目を覚ますってどういう事?と、ふと疑問に思い、わたしを目覚めさせてくださいとお祈りをしていた事がありました。

そして本当に、目覚めた真理の道まで導いてくださいました。

本当に、「求めなさい。そうすれば得られるであろう。(ヨハネによる福音書16章23~24)」でした!

まだ聖書を知らなくても世界や人生が良くなってほしいと思う人や、真理を求めてこのRAPTブログにたどり着いた方達も、どうぞ一度、神様に求めて欲しいです。

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネによる福音書8章32)」のです!

どうぞ聖霊の働きで、まだ有料記事の購読を迷っていらっしゃる方の背中を押してくださいますように。

善の力で、ここに導かれるべき多くの人たちに、強く働きかけられます様に。

世界中の人々が神様のもとに導かれます様に!


 

既存の教会に通うキリスト教徒の現状がとてもよくわかると思います。

私がキリスト教に感じていた違和感(特に聖書を読むようになってから更に顕著になりましたが)を、親子代々教会に通い続けていた方も感じているということです。

いずれにしても誰もがいつかは死に、否が応でも、そして多かれ少なかれ宗教と関わるのです。信じようと信じまいと、肉体がある事と同じくらい当たり前に霊というものが存在し、その霊の行き場を決めるのが宗教なのです。

信仰は、ただ単にグループに属していればいいというものでは無く、一人一人それぞれが神様と向き合うのです。聞けば聞くだけ教えてくれ、求めれば求めただけ与えてくれる(しかも良いものだけを選んで)という、夢のようなマンツーマンなのです。その代り、私達はしっかりと教えの通りに生きて行かなくてはなりません。これは当たり前のことです。

自分は神様などに頼らなくても今まで生きてこれたし、幸せだし、全て自分の力で切り拓いてきたから・・・などと言う人に、以前は「すごいなあ」と尊敬の眼差しを向けてきましたが、信仰を持った今では逆にその傲慢さにビックリしてしまい、只々神様の存在に気付けますようにと祈るばかりです。

このような人達はスピリチュアルや占いはかじっていたりするので苦笑してしまいます。

聖書の中には占いや口寄せや霊媒ははっきりと禁じられています。魔術、呪術も同じです。

そのようなものが一体何に聞いているのか、ということをよく見極めなくてはなりません。

中には全くのインチキもあるでしょうし、実際霊に聞いている「本物」の霊媒師もいるでしょうが、聞いている相手が悪霊だとしたらどう思いますか。

〇RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。

〇RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。

〇RAPT×読者対談〈第86弾〉人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?

〇RAPT×読者対談〈第87弾〉過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。

〇RAPTブログ読者の証言〈VOL.1〉 スピリチャル系にハマって人生が破滅しそうになった30歳女性。

悪魔も悪霊も人を絶対に救いません。最終的に破滅の道に連れて行くために、深く信じるまでの入り口では本当のことを教えるだけです。そして、破滅の道に繋がる門はとても広くて整っていて魅力的に見える門ばかりなのです。

聖書に「狭い門から入りなさい」と書いてあります。


《マタイによる福音書7章13節 「狭い門」》

”「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」”


 

聖書こそが狭い門です。しかしキリスト教という大きな船に乗っていればどう生きていても大丈夫というものではなく、どこまでも真実に神様に心を向けていなくてはいけないということです。そして、旧約時代、新約時代に続く成約時代の今の御言葉を唯一聞くことが出来るのがRAPTブログの有料記事です。

その道は決して簡単に思えないでしょうが、真実を求めていれば必ず最後まで通っていくことが出来るはずです。

私も日々心を込めて励んでいきます。

皆さんと共に歩んでいけますように心から祈ります。

 

 

皆さんと私の毎日が主の御心にかなうものでありますように。

 

 

 

 

 

 


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