兄のこと

私の2つ上の兄のことについて話します。

私は過酷な家族環境の中で育ってきたので(父の気付き、母の一歩兄とダリア)家族が仲良くすることこそが一番大切で美しいことだと考えて生きてきました。それ故いつしか、自分さえ我慢しておけば、自分さえ黙っていれば丸く収まるのならば、その方が良いと思ってしまいました。

家族の中で繰り広げられる悪は、家族の恥として当事者が口を閉ざしていれば明るみに出ることはありません。家族内のことは、そうして犯罪とならず、よほど大きな事件にならないと捕まったりすることもありません。

この日本でも家族からの性的被害に苦しんでいる人が本当に沢山いると思います。そうした悩みを抱えている方の為に少しでも参考になればと書くことにしました。

 

私は小学6年生の時に一度、そして高校1年生の時には長期間にわたり、兄から執拗に身体を触られるという経験をしました。

小学六年生の時(兄が中学2年生です)、真夜中皆が寝静まっている時でした。勿論私も熟睡していました。何か息苦しさを感じて目覚めると、兄が私の身体を触っていたのでした。その頃の私があまりにも子供で、しかし性的な興味もそれなりにあったこともあり、寝ぼけたままで少しの間抵抗もしなかったのですが(あまりにも愚かで無知でした。本当に悔い改めます。)、途中からこれは危険だと気付き、しっかりと硬く体を縮めて自分を守りました。兄は諦めて自分の布団に戻りました。

母が隣に寝ていたのですが、たとえ少しの間でも自分が抵抗しなかったという罪悪感と恥ずかしさに苛まれ、母に訴えることが出来ませんでした。そのことは私の中で黒いシミのように心の中に残りましたが、それ以来そのようなことは無く、私も忘れようとしました。

しかし、私が高校1年生の時、兄が高校3年生の時に、その悪夢が再び始まりました。

それもまた、夜寝ている時に息苦しくて目覚めると兄がいる、という状況でした。息を殺して潜んでいる兄の様子や、時折り漏れる生暖かい呼吸がおぞましく、身震いしました。

当時兄は2階の一人部屋、その隣が私と妹の二人部屋でした。父と母は階下で寝ていました。

私はその度に大声で叫んで母を呼び、兄は部屋に逃げていく、ということが繰り返されました。

しかし母が兄を叱り諭して下に降りていくと、その日再びそれが行われるということもありました。

私は気が狂いそうでした。

 

解決策として母が一緒に寝るようになりました。

しかし、母が隣に寝ていても、息を潜めて兄はやって来るのでした。小学生の時も母が隣で寝ていたわけで、それが抑止力となるはずもありませんでした。兄は母を完全に侮っていたのです。

兄は臆することなく繰り返しました。

寝ている間に身体を触られている、という事実と身体に残った感触の気持ち悪さは、30年程経った今でも吐き気を催します。

本当に頭がおかしいというか、兄は悪魔に取り憑かれていたのだと思います。

というのも、夜が明けるとまるで憑き物が落ちたように、兄が普通になるからです。

私を見ても特に恥じ入ることも罪悪感に苛まれている様子もなければ、普通に会話しようとさえしていましたから。

本当に私は混乱していました。

彼は対外的にはとても常識人で、面倒見が良く、話すことも論理的なのですから。特に自分の正当性を主張することには長けていて、こちらの感覚が間違っているのでは、と錯覚してしまうほどです。

彼は完全にサイコパスなのだと思います。

 

私はお願いだからドアに鍵を付けてと母に泣いて頼みました。

ある日、母は私達の部屋のドアに鍵を取り付けました。

「これで大丈夫よ。」

見ると、小さなステンレス製の閂(かんぬき)がドアノブの下に取り付けてありました。

あまりの鍵の小ささに失望を隠しきれない私を見て、母は、

「ほら見て、ビクともしないわ。絶対に開かないわよ。」

と、閂を掛けたままドアノブを押したり引いたりして見せました。

ドアはガンッ!!ガンッ!!!と音を立てて開かず、・・・なるほど、ビクともしませんでした。

確かにそれでドアを開けることはできなくなりましたが、あまりにも小さなその閂は、私の貞操や心に対する親の意識の小ささを物語っているように思えました。私は得も言われぬ失望感を感じ、悲しくなりました。

 

その夜から、悪夢は新たなものに変わりました。

今度は兄がドアを開けようとして開かず、「ガンッ!!!」という音で目が覚める恐怖が始まったのです。ドアの向こうの兄の異様な雰囲気が伝わってきて、私は恐ろしくて震えました。何か黒い「気」のようなものがモヤモヤとドアを通り抜けて入って来るように思えました。本当にホラー映画さながらでした。

隣で寝ている妹は当時小学2年生くらいでしたから、まだまだ頼るには小さすぎました。

母は閂を付けたことで安心し、再び階下で寝るようになりました。私は毎日夜が恐ろしく、精神的におかしくなりそうでした。

結局、身体を触られるか触られないか、ということよりも、夜が、そして何物かに取り憑かれたような兄が恐怖でした。

その夏のことです。

異様な雰囲気で目が覚めた私は、信じられない光景を目にしました。

私達の部屋は2階にあるというのに、西側の小窓に人影が見えたのです。

私達と兄の部屋は南側のベランダで繋がっているのですが、(勿論ベランダの窓は固く鍵をかけてありました。)西側の小窓へは、ベランダを乗り越えて屋根を伝っていかないといけません。

当時エアコンは無く、扇風機で涼を取っていましたが、あまりの暑さに西側の小窓は少しだけ開けて網戸にしていたのです。但し防犯ロックでそれ以上は開かないようになっていました。

その人影は窓を開けようと試みましたが、開かないことが分かると諦めてベランダの方へと戻ろうとしました。

私はあまりの恐怖に硬直して固唾を飲んで見ていましたが、慌てて母を起こしました。たまたまその日は、母が隣に寝ていました。

母は事情を飲み込むとベランダで兄を待ち構え、さすがに半狂乱で、しかし声を押し殺して兄を叱っていました。父が呼ばれ、兄を怒鳴り、殴ったようでした。

しかし私にはそこら辺の記憶がぼんやりとしか思い出せません。

耳を塞いでいたのかもしれないし、呆然としていたのかもしれないし、とにかく有り得ない場所に人影があったことと、兄の異常な執拗なまでの行動と心があまりにも恐ろしく、そこで記憶が止まっているのです。

それが一度きりだったのか、何度も行われたのか、そこもハッキリと思い出せません。私の中では2度はあったように記憶しています。

冷静に考えれば、どれだけおかしなことをしているかは分かりそうなものですが、それをやり続ける兄を私は理解することは出来ませんでした。

私は自分がどこまで、何をされたのかがわからず、自分が処女であるのかすら分かりませんでした。気付くと下着が脱がされていたこともあり、恐怖で震えました。性経験が無かった私は、それがどういうものなのか知らなかったからです。自分の体に特に変化は無いから多分大丈夫だろうとだけは思い、必死で自分を慰めていましたが、誰に聞くことも出来ず、その時の私には確かめようがありませんでした。

兄が正気な時(日中)に兄の部屋に乗り込み、「昨日私に何をしたの!」と問いただしたことが一度だけあります。

「何もしてないよ」と平然と言った兄に(恐らく最後までしていない、という意味でしょうが)私は、

「あんたに彼女が出来たら洗いざらいこのことを話してやる!あんたが幸せになることは絶対に無いから!」と呪いの言葉を吐きました。兄は一瞬たじろいだ様子を見せました。

 

それでも夜になると彼は自分の行動を抑えられないのでした。恐らく彼にとっては、「ただ触っているだけなのだから罪ではない」という感覚もあったのかもしれません。相手の気持ちがどうか、ということは、どこまでも考えることが出来ないのでした。

後に兄には彼女が何人も出来ましたが、結局私は一度もその出来事を彼女達に話すことはありませんでした。しかし兄が精神を病み、スッタモンダ続きで幸せとはかけ離れた心と生活をずっと続けているのを見て、私は自分の呪いの言葉のせいだと自分を責めたりもしました。そして信仰を持ってからは、呪いが解けるように祈り、兄が悔い改めて救われるようにと祈るようになりました。

しかし今ではそれが神様からの裁きで、私のその祈り自体がただの偽善であると悟り、彼の為に祈ることを止めました。

 

その後、兄が遠方の大学に合格して家を出ることになり、私の恐怖の日々が終焉を迎えました。

ああこれで、安心して夜眠ることができるのだ、と心からホッとしたことを覚えています。

そして私はその出来事を記憶の奥底に葬り去ることで、自分の心を守りました。

特に私に謝罪もないまま、うやむやの状態で兄は出て行き、家族のそれぞれが触れてはいけないもののように、この事実に口を閉ざしました。

「お兄ちゃんが出て行ってホッとしたわね。」

一度だけ母は私に言いました。共感を求めるように母が放ったその台詞に、私は何か静かな憤りのようなものを感じましたが、それもすぐに消え、自分の感情をハッキリと掴むことができませんでした。

 

目の前に兄がいなくなったことで、少しずつ兄のことを考える必要が無くなり、兄に関する全ての記憶が薄れていきました。とにかく当面の恐怖が取り去られたので、もうそれだけで十分とも思えました。夜の異常行動に関しては、意図的に自分の記憶の奥深くに葬ってしまったので、恨み続けるとか嫌悪し続けるよりも、寧ろ兄の良い部分を思い出し、許そうという考えが働きました。

また家庭内では、兄が親からの仕送りを殆ど無いままに大学生活を頑張っているという「良い面」が強調されるようになり、私も「兄は苦労していて偉いのだ」、と思うようになりました。

 

そうして家族全体で兄の罪を罪とせずに、深い闇に葬り、無かったことにしたことが全ての間違いでした。

罪を罪としないことが罪であり、悪を悪として裁かないことが悪であることを私は聖書で学びました。

 

家族は例え形を整えたとしても、その中身が壊れているのならば、いつか必ず崩壊します。どんなに幸せそうでも、どんなに華やかでも、どんなに固く結ばれているように見えても、じわじわと崩れ続け、いつか持ち堪えられなくなるのです。

家族でなくても、誰かが耐え忍ぶことで成り立っている集団は、決して正常ではありません。嘘と偽善で塗り固められた集団であれば必ず崩壊します。そして偽善が生み出すものは、本当に虚しいものでしかないということに後から気付くことになるのです。

数年が経ち、妹が中学生くらいの時、妹の仲良しのお友達が私と同じ経験をして悩んでいることが分かりました。

母は、「男の子には、一時的によくあることみたいなのよ」と、誰か有名な教育者か児童心理学者か何かから学んだ知識を私に話しました。私はこの時、母に対してはっきり違和感と憤りと憎しみを感じました。しかしそれを爆発させることも口に出すことすら出来ませんでした。

私がこの事実と自分の心に向き合うことが出来たのは、あの出来事から30年近く経って、結婚もして子供にも恵まれ、沢山の経験をしてからです。

しかも本当の意味で手放せたのは、信仰を持ってからのことで、つまり本当にごく最近のことです。

 

数年前のある日、実家の庭からベランダを見上げた時に、私の中にまざまざとあの日の出来事が蘇り、胸を掻き毟られるような苦しみが襲いました。

「あそこを伝ってわざわざ兄は私の部屋に行ったのよね。」

あの小さな鍵のこと、母が私の心をまるで顧みなかったこと、ずっと苦しんできたことを私はやっと口に出すことが出来たのでした。

母も涙を流しました。

「この話がいつかあなたの口から出る日が来ると思っていたの。」

母は泣きながら、実は自分も幼い頃に知らない男性から同じような性被害にあったのだと、涙ながらに私に打ち明けました。そしてこのことは誰にも、親にすら話していないのだと言いました。

母は自分自身の苦しみに向き合うことが出来なかったばかりに、娘の苦しみにも向き合うことが出来なかったのでした。そして加害者も被害者もどちらも我が子という事態に苦しむことになったのでした。これ以上の皮肉があるでしょうか。

それでも母は本質から目を逸らして、「これはよくあることなのだ」という無理やりな論理で自分の経験ごと納得しようとしていたのです。


《ルカによる福音書8章16節~「ともし火」のたとえ より》

”「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」”


《箴言17》より抜粋

悪い者を正しいとすることも

正しい人を悪いとすることも

ともに、主のいとわれることである。

……


《レビ記18章 いとうべき性関係 より》

……

姉妹は、異父姉妹、異母姉妹、同じ家で育ったか他の家で育ったかを問わず、彼女たちを犯して、辱めてはならない。

……

父のもとに生まれた父の妻の娘を犯してはならない。彼女はあなたの姉妹である。彼女を辱めてはならない。

……

あなたたちは以上のいかなる性行為によっても、身を汚してはならない。これらはすべて、あなたたちの前からわたしが追放しようとしている国々が行なって、身を汚していることである。これらの行為によってこの土地は汚され、わたしはこの地をその罪のゆえに罰し、この地はそこに住む者を吐き出したのである。

……


《レビ記20章17節より》

……

自分の姉妹、すなわち父または母の娘をめとり、その姉妹の裸を見、女はその兄弟の裸を見るならば、これは恥ずべき行為であり、彼らは民の目の前で断たれる。彼は自分の姉妹を犯した罪を負わねばならない。

……


 

現代は多種多様な性が当たり前のように認められつつある世の中です。不倫、同性愛、近親相姦、みだらな性行為があらゆるメディアで取り上げられ、興味を持たれ、寛容に受け入れられています。沢山恋愛をして本能のままに生きることが良いことのような印象を与えられ、それが文化であるとさえ認識されているほどです。しかしその殆どが聖書の中で罪に定められていることです。

私は聖書に書かれていることは実に真っ当で、当たり前すぎるほど当たり前のことだと思います。人はここから外れてはいけないと、私は思います。

現代の性の乱れは異常だと思います。

私自身がつい最近までそれを異常だとも感じず、面白がり、そういうこともアリなのだ、と助長するような発言さえしていたことを悔い改めます。

 

本当にこの世の中が清くなることを願ってやみません。

それだけでなく、一人一人が悪を悪としてきちんと裁き滅ぼす勇気と確固たる信念を持たねばなりません。

 

私はそれが分からず、あまりにも遠回りしてしまいました。

私の家族皆が、遠回りしてしまいました。

そして今、その苦い果実を食べる羽目になっているのだと思います。

 

如何なる雑草も、見て見ぬふりをしている間にどんどんと蔓延り、手が付けられなくなってしまいます。

悪の芽を見つけた時、私達は怠らずに取り除かなければなりません。

 

 

主よ、心から私自身の罪を悔い改めます。

どうか私の中の悪の芽を全て取り除けるように教えてください。

 

 

この世の中が、そして私自身が清くなれますように。

 

皆さんの中の悪が全て清められますように。

 

心から祈ります。

 

 


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