いのちを考える日

あれから一体何年が過ぎたのでしょうか。

今年も今日という日がやってきました。

 

次男の命日です。

 

いつも忘れてしまって、随分月日が経ったな、で済ませてしまいます。でも知りたい時にはネットで秋篠宮悠仁親王を検索すれば一発で分かります。何故なら彼は次男の命日の翌日に誕生したからです。

私はそのニュースを病院のベッドで観ました。

退院した後も暫く悠仁親王のニュースで世間はもちきりでした。義母がしきりと悔しがり、辛くて見ていられないと言ってそのニュースを何年も避けていたのを思い出します。

きっと生傷に塩を塗られるような気持ちだったんでしょうね。その気持ちは理解できます。

でも私自身は不思議と妬みも嫉みも感じませんでした。身体の痛みと強烈な悲しみで身も心も張り裂けそうでしたが、そのニュースは私を何一つ苦しめませんでした。寧ろ彼の成長は毎年テレビでやるだろうから、次男が生きていたらこのくらいの男の子なんだと分かるな、とは思いました。

その感覚は今でも変わりません。というか、そもそも何年とか何歳とかはどうでもよくて、命日を静かに祈って過ごしたい、これだけでした。

これを書き始めたので調べてみたら11年でした。因みに悠仁親王の誕生日は2006年(平成18年)9月6日なんですね。改めて6ばかりでビックリです。帝王切開だし、偶然というわけではなく、予めこの日に決めていたんでしょうね。

まあ、それは置いておいて・・・

 

命日として振り返るのは10回目になります。

改めて一つ一つ思い出してみると、本当に色んなことがありました。

花を飾り、一日中祈って泣いていた1回目。

家族で追悼旅行に出掛けた2回目。

蓼科の牧場で、不意に頭の中に「そこをごらんなさい」と声が降りてきて目をやったところ、綺麗な四葉のクローバーが一本だけスッと立っていた光景が蘇ります。

次男と神様からのしるしだ、と大切に持ち帰り、押し花の上手な友人に素敵な額縁に入れてもらいました。それは今でも部屋に飾ってあります。

 

そして3回目の命日の前日、娘が生まれ、悲しみの中に喜びが加わるようになりました。

4回目の命日には赤ちゃんの娘を連れて家族で日光へ追悼旅行をしました。日光東照宮に行って(笑)、気の向くままに歩いていたら森の中に野生の鹿がいて私達を見送るように見ていたこと、その透き通った眼差しを思い出します。

20100905140512

その後、不意に小さな古い教会に導かれて祈ったのでした。街中にある、ステンドグラスの美しい教会でした。

追悼旅行はいつも心が満たされて、神様の存在や次男の魂を感じる様々な出来事がありました。

追悼旅行の時だけでなく、日々そこかしこで神様や次男の魂を感じる様々なしるしを見せて頂きました。

だから、神様は絶対にいるし、霊も魂も絶対にあるとその頃から思っていましたし、いま心から断言できます。誰が何と言おうと、実感としてそれがあるのです。

 

そういえば次男への誕生日プレゼントとして、小さな手回しオルゴールを買うのが恒例になったこともありました。でも段々と主旨から外れて、コレクションという行為に執着している感じや義務感に違和感を覚えてやめてしまいましたけど。

IMG_7459

 

11年という年月が 長いのか短いのか・・・とにかく月日が経ちました。本当に色んな出来事と思いが詰まった11年でした。今を生きているという事実に只々感謝します。

 

信仰を持つまでの私は、自分の悲しみと心の傷を癒すことに集中して生きてきました。それこそが家族の為でもあると思っていました。

そして分かったことは、年月が傷を癒すわけでも、代わりになる「良い出来事」(我が家の場合は娘の誕生ですが)が悲しみを忘れさせてくれるわけでもないのだということです。

 

いま私の悲しみや心の傷は完全に癒えています。神様が私の自己憐憫を焼き尽くしてくださり、悔い改めさせてくださり、本当の意味で癒してくださったからです。

 

そして今は強烈に、「生かされた意味」を考えます。

 

あの時、命を与えることも取り上げることも、如何様にもお出来になる神様が、次男ではなく私に命を与えられたこと。

両方を生かすことも両方を殺すことも出来たはずでした。

しかし、私が生きました。

このような元気な姿で生きました。

・・・多分、同年代の人からしても相当元気です。

 

この意味を考えています。

 

神様は私に期待されることがあって生かされたのだと思います。

では、私に出来ることは何でしょうか。

 

神様の御心を広く人々に伝えることが神様の望んでいらっしゃることなのですから、私は全身全霊をかけてそれを行なっていかなければと思います。

 

この拙いブログで神様の御心を少しでも広げることが出来ているのかは全く分かりません。

でも今はこれを自分で始めて、目の前にこれがあるので書き続けます。

他にもやるべきことがあるのかもしれません。とにかく答えを祈り求めていきます。

 

そして、誰が何と言おうと、RAPTさんが正しい人であること、神様からの指名者であること、そしてRAPTさんの有料記事が旧約、新約に続く成約時代の福音、つまり成約聖書であることを伝え続けます。

 

頭おかしい人と思われようが、盲信的と思われようが、本当のことだから仕方ありません。

それでも時々、普通の人の頭に立ち返って、客観的に「私おかしいかな?」と考えてみるのですが、どうやってもどう考えても結局これに代わる真理というものが見当たらず、やっぱこれしかないよなぁという原点に突き当たる次第です。

 

こうやって書けば書くほど離れ去る人は離れ去るでしょうが、それも仕方ありません。それで良いと思います。

 

 

一人でも多くの人が神様の狭き門をくぐって真理に導かれますように。

そして同じ思いを抱く兄弟姉妹の皆さんに大きな祝福がありますように。

 

心から、祈ります。

 

 


いのちを考える日」への2件のフィードバック

  1. 素敵なブログを書いてくださってありがとうございます😊私はラプトブログも聖書もまだ全部読み終わってませんが、あなたのブログに助けられた者です。私の父も母と仲が悪く、生きる気力を失い、入院していますが、うちに引き取ろうと決心できました。あなたがブログを書いてくださったおかげで長年の心配事の解決の糸口が見つかりました。ありがとうございます‼️育児や暮らしの知恵も参考にしています。まだクリスチャンになって日も浅く、あんまりスマホも使いこなせてませんが、感謝を伝えたくコメントしました。あなたのブログは希望の光です。周囲の無理解に落ち込むこともあるかと思いますが、やめないでください。神様も愛情ある眼差しで見守っていることと思います。どうぞお身体に気をつけて、お元気で^ – ^いつかラプトさんの教会で会える日を楽しみにしています。

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    1. 直美さん、
      心のこもった温かなメッセージを有難うございます。勇気づけられ元気づけられました。直美さんを通して神様が祝福を与えて下さいました。
      私のこの拙いブログと経験が少しでもお役に立てたことは何より嬉しいことです。
      これからも神様の道を共に真っすぐ進んで行きましょう。教会でもお会いできたらいいですね。
      直美さんが聖霊に満たされますよう、心よりお祈りいたします。

      いいね

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