祈りは本当に病を治すのか~萎えた手の話

私はつい先日、左手が痺れて全く力が入らないという状態になってしまいました。

夫と子供達が出掛けた後、少し仮眠を取って目覚めた時に、その異変が始まりました。

長時間正座をして足が痺れて立てない時の感じが左手にあり、洗濯物を干すことはおろか、髪の毛を結ぶことも前髪をかき分けることすらもできないのでした。

変な寝方をしてしまったんだな、時間が経てば治るだろう、そう軽く考えて過ごしていましたが、一向に回復する兆しがありません。

まさに「手が萎えた」状態で、どうすることもできないのでした。

夜になって、さすがに事態を重く見て、翌朝に回復の兆しが見られなかったら病院に行った方が良いということになりました。

色々と動かしてみて分かったことは、力の入る角度と全く入らない角度があることです。下向きの力(手を床につく等)は全く問題なく力が入るのですが、掌を上向きにして手を使う動きや、手の甲を持ち上げるような動きは全くといって力が入らないのでした。また、腕を肘よりも上に動かすと途端に手が萎え、人形の手のように使えないのでした。

特に中指と薬指が利かず、両腕を上にピンと伸ばしてみた時に、左手が自然にサタンのコルナサイン(中指と薬指が閉じて人差し指と小指が立っている手の形です)になってしまうことにゾッとしました。

DAIGOの「ウィッシュ」や、スタンハンセンが雄叫びを上げるお決まりの手の形(古っ!!!)や、平和のサインとかで一時期広まった手話のI love you サインのようなあの手の形は実はコルナサインといい、イルミナティに忠誠を誓う、サタン独特のサインなのです。メディアを使ってあたかもお洒落や時代の流行というように広められていますが、知らずにサタンへの忠誠を表明しない為にも、安易に真似してはいけません。

◯NAVERまとめ コルナサインと666OKサインの正しい基礎知識

上記リンクでは、数々の有名人著名人がコルナサインやってます。特に生前退位となった元ローマ法王ベネディクト16世は・・・・久しぶりに見ましたが、ちょっと目が離せませんでしたね。

 

そして、なんで仏像があの手の形なのか、ということも一考ポイントですね。まさに偶像崇拝の為に作られたものなわけですから、当たり前のことではありますが。

 

さて、私は自分が望んでもいないのに手がこの形をしてしまう状態に物凄いサタンを感じたわけです。

折しも二日後から本格的にパン屋さんの製造パートが始まるところでした。沢山融通を利かせて頂いているのに、始まる途端にこのような事態でお休みするなんて、あり得ないことですし、しかも私が「愛媛の教会に礼拝しに行く為の資金を自分で稼ぎたい」と祈り、導かれたお仕事なのですから。

 

サタンが私のそばで嘲笑っているような気がしました。

自分の中の罪にサタンは取り憑いてきますから、本当に必死で祈り、それが取り除かれるように悔い改めました。

私の中に怠惰の罪があることは分かっていましたから、神様に裁かれているとも思いました。

しかしたった一本の手が思うように使えないというだけで、本当に歯痒く辛いものです。

身体の不自由な方々の苦痛を思い、また、脳梗塞で半身不随になった義伯父、以前の記事でも書きましたがフォーカルジストニアという病で手が動かなくなってしまったピアニストのKさんの苦しみを思いました。

祈って祈って、その日は終わりました。

 

翌朝になっても、状態にあまり変化はありませんでした。

その日の明け方深く祈ってみて、断食をすることにし、医者に行こうと決めました。

 

症状をネットで調べてみると、手を動かす神経を傷めた可能性と脳梗塞やクモ膜下出血の前兆などが疑われました。

父が脳梗塞を発症した時は、どんなに頑張っても鍵穴に鍵を差し込むことができなかったことで周りの人が異変に気付いたのです。何かそのような、儘ならない感じがとても似ているなと思いました。

でも不思議と不安は全くありませんでした。

まずは整形外科と脳神経外科の両方がある病院に行こうと思い目星を付けましたが、あいにくの休診日でした。

他にもいくつか病院を見つけましたが、病院自体が休診日だったり、科がお休みだったりと選択肢が狭まっていき、結局、ある総合病院の整形外科に導かれました。その病院に脳神経外科はありませんでした。

その段階で、なんとなく「原因は脳では無いんだろうな」と感じていました。

 

その日担当の先生は随分と人気があるらしく、午前の診療で36人もの人が既に待っていました。受付の女性にも、その曜日は特別に待ち時間が長いのだと言われました。

 

でも、私は待つことが大得意。大抵の信仰者にとって待ち時間ほど有り難く有意義な時間は無いのではないでしょうか。

なにしろ誰にも邪魔されずに祈れるし、聖書を読めますから。

 

ただひたすらに、祈っては聖書を読むを繰り返していたら、あっという間に4時間ほど経ち、名前が呼ばれました。

とても穏やかな老年の先生が、私の手の動きを丁寧に見て確認してくれました。静かな温かさのある先生で、とても信頼できました。

 

「橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)ですね。」

 

橈骨神経とは、二の腕付近の外側にある神経で、手の甲の方向に動かす神経を司っているそうです。

動きによって司る神経系統が違うなんて。手だけをとっても、我々人間の身体は、実に精密に繊細に計算され尽くして作られているのだということがわかりました。

まさに人間は精密なコンピューターなのですね。

〇RAPT有料記事163(2017年4月15日)人間は神様の御言葉によってプログラムされ、聖霊という電磁波によって動く超精密なコンピューターだ。

心から神様の御業を讃えます。

神経は茹でたうどんのように柔らかく繊細で、たとえ枕やクッションのような柔らかいものでも長時間そこを圧迫し続けると神経が通わなくなってしまうばかりか損傷してしまうのだとのことでした。

「早くて2、3日、長くて数ヶ月、場合によっては治らない人もいます。」

 

医師の診立てによると、一週間以上はかかるだろうとのことでした。働くのは無理でしょうから、とにかく休んでおきなさい、と。

 

そうかー、

パン屋さんの製造パートは無理かぁ。

せっかく決まったけど、こんなに早く休みが続いてしまえば、クビだよなぁ。

 

色々な思いがよぎりましたが、何より脳に関わる病気でないことだけでも有難いと思いました。

脳は神様と疎通する為の唯一の器官ですし、車で言えばエンジンに当たる、核ですから。

脳は肉体と霊が共有している臓器なのです。

(詳しくはこちら。)

だから私達は何を差し置いても脳を守らなければなりません。

 

まあ、そのようなわけで、私にとって、とりあえず最悪の事態は避けられました。

 

その日はパン屋さんの休業日でしたから、お店に連絡を取ることができませんでした。

翌朝早く電話して、急遽その日のお休みを取ることは、人手が無くて一杯一杯のお店を思うと気が引けました。とにかく朝行って、事情を説明することに決めました。そして、

「早ければ2、3日」

とにかく、これに賭けて祈ろうと思いました。

 

病院では神経を修復するのを助けるビタミンB12の錠剤が処方されていました。普段安易に薬を飲まない私ですが、祈りながら、大人しくきちんと飲みました。

それが効いたのかもしれませんし、動かし方のコツを掴んで慣れたのかもしれませんが、少しずつ少しずつ動かせる範囲が広がり行動が早くなりました。

翌日の明け方に再び手の動きを確認すると、やはり格段に良くなっていました。

家事をやる中で自信のない動きや補強の仕方は練習できていたので、ほぼ家事の延長であるカスタードを作る動きは可能だと思いました。

朝、パン屋さんに行くと、案の定とてもギリギリの人員で回していました。

とにかく大きな失敗やお店に損失を与えることが無いように、また自分の手を悪化させることが無いようにと心から祈り、仕事に入りました。

そして、カスタードをベースとした数種類のクリームを、何とか作り切ることが出来ました!

失敗もありましたが、それは手の動きによって起こった失敗ではなく、単純に未熟さと確認不足や天性のおっちょこちょい故のミスでした。(これはこれで情けないことですが・・・)

しかも、時間が経つにつれ、徐々に手が回復していくのがわかりました。何となく、神様が共にいてくださり、私の手を支えてくださっているような感覚がありました。

 

信仰を持ってからというもの、こういうこと(驚異的な回復)は度々ありました。

◯息子の骨折

また、1ヶ月前の梨の出荷の最盛期のことです。

私は左足の小指の上に我が家の重い木のまな板を落としてしまい、爪が死んで小指が付け根から腫れ上がってしまいました。靴を履くのも儘ならず、骨折したのではと思ったくらいです。

img_6091
向かって左側のまな板です。一枚板で相当重いです。

 

でも、翌々日に梨の出荷のバイトが入っており、丁度お盆で人手が足りず、一人抜けることは致命的だと知っていました。とにかく一日も早く回復するように心を込めて祈り、きっちりとテーピングをして朝仕事に出てみました。無理だと思ったら早退しようと思ったわけですが、少し動いてみて大丈夫だと確信できました。そして、なんと全く支障が無く最後まで働けた上に、帰る頃には逆に状態が良くなっていたのでした!

 

私の場合、たまたま症状が軽く済んでいるのかもしれませんが、それにしても祈りの力、神様の力としか思えない出来事が多すぎて、やはり最終的には神様への深い感謝へと至るのです。

 

聖書にも、イエス様や十二弟子達が病を癒す場面が多々出てきますが、それは本当なのだと思います。本当の神様への信仰は間違いなく私達を病から(あらゆる艱難や最悪の事態から)救ってくれます。

 

特にこの度は、イエス様が手の萎えた人を癒された話が心に沁みます。


マルコによる福音書3章1節〜「手の萎えた人を癒す」

「イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

 

先に述べたピアニストのKさんも、今では殆ど回復されて、完全に治る日は近いと仰っていました。今では愛媛の教会で讃美を演奏されています。その様子は以下のリンクの音声で聴くことが出来ます。聖霊を感じる美しい歌声と演奏、そして教会で毎朝行われているお祈り会のお話を是非聞いてみてください。

〇RAPT有料記事210(2017年9月25日)神様と一体になった人は、どんな祈りも叶えられる。

 

 

神様、私はこのようにあまりにも沢山あなたに救っていただいています。

それなのに、日々の私の義の足りなさを思うと本当に悲しくなります。

もっともっとあなたを愛し、あなたの御心を広げることが出来ますように。

もっともっとあなたを喜ばせるような生き方が出来ますように。

 

一人でも多くの人が神様の愛に気付き、神様に立ち返ることが出来ますように。

 

心から祈ります。

 

 

 


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