まだまだいる、醜い自分を焼き尽くす

すっかり秋の空気です。

オリーブの木の根元から、今ごろ思い出したかのように百合が花を咲かせました。

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社会に出ると、役割をこなす上で色々と醜い自分に出会うものです。

 

仕事先では毎日色々な課題があり、それに対するミスや失敗があります。

特に私は元来おっちょこちょいな上ザックリな性格なので、小さいミスを沢山してしまいます。

一見物分かりが良さそうで落ち着いた印象があり(自分で言うのもなんですが・・・笑)、しっかりしてそうに見えるのに結構色々とやらかしてしまうので、余計に周りを失望させてしまいます。

それは昔からそうでした。

「あんたムラがあるんだよね」

これ、人生の中で度々言われる言葉です。

打てば響くように、ものすごく出来る時はミラクルな働きをするのですが(自分で言うのもなんですが・・・笑)、一方でため息モノのアイタタターやら、ドンガラガッシャーンをやってしまうのです。

だったら安定した中間になりたいところです、本当に。

その二面性を自分でも常に痛いほど感じているわけす。

 

以前は期待通りに出来なかった時やミスした時の落ち込みが半端なく、恥ずかしくて消えてしまいたいと思うことがしばしばでした。

その恥ずかしさはずっと後を引いて、何度も脳裏に蘇っては私を苦しめ続けました。

一人になる時、(大抵お風呂かトイレに入っている時に)不意にその失敗が思い浮かび、

「ああ〜」だの「もお〜」だの「死にたい〜」だの一人で悶絶していたものです。

そういえば、今思い出しましたが、そんな時の口癖が「神様ーー!!!」の時もありました。心の底から湧き出るように叫んでいましたが、そうすると物凄く心が楽になったのです。

 

結婚してからは、

「◯◯◯(夫の名前)のバカ!!!」と叫んでいた時もありましたね。

(注)その時の夫に何か落ち度があったというわけではありません。完全なる言いがかりの八つ当たり、夫はいい迷惑ですね。(笑)

 

とにかく苦し過ぎて辛すぎて、何でもいいから吐き出して、誰かになすりつけて、すがりつきたい気持ちだったのでしょう。

しかも、すがる相手が、神様から夫へ移行・・・せっかくいい線行っていたのに、また迷宮に逆戻りな感じですね。(夫へは、すがりつくというより罪をなすりつける、でしたが・・・)

 

本当に私は、何にそんなに苦しんでいたのでしょうか。

 

今ではミスして怒られたり嫌な顔や呆れた顔をされたりしても、そこまで落ち込むことはありません。

やはり極力失敗はしたくないし、でも相変わらず失敗してしまう自分が心の底から嫌にはなりますが、消えてしまいたいとか、死んでしまいたいとか、「ああ〜〜!!!」と頭を抱えて悶絶するようなことが一切無いのです。

また、以前はよく泣いていました。

涙が出てしまう自分が大嫌いで、必死で止めようと思っても、どうしようもなく涙が溢れてしまうのです。

 

そういえば、泣かなくもなりました。

 

単に強くなったとか、顔の皮が厚くなったとか、心臓に毛が生えたとか、楽観的になったとか、そういう話ではありません。

では何が変わったのかというと、ひとえに無駄なプライドが無くなったということだと思います。欠けた足りない出来損ない自分に向き合い、出来るようになる為に必死で努力するしかないと今は思っています。

 

結局私は、自分のプライドに苦しめられていたということですね。

周りが(自分が)作ったイメージに応えられないことや、「こうありたい自分」からかけ離れたことへのショックですよね。

できるイメージの方に固執すると苦しいわけです。人からどう思われた、こう思われた、が気になって仕方なくなります。

本当に馬鹿らしい悩みですね。

そもそもできていないのに、できるんだ、できているはずだ、という変な自負がありすぎました。

比較しているところがとても低いレベルだったということでもあります。

強烈な優越感と、同じくらい強烈な劣等感。

これが私の二面性でした。

 

高慢も知ったかぶりも出来るフリも自己卑下も全て罪であり、神様が厭うものです。

罪には必ずサタンが寄ってきて、その人に深く入り込み、そこからえぐるように喜びを奪っていくわけです。

あんなにも苦しかったのは、そうやって深く深く、何度も何度も奪われていたからだとわかります。

本当にいいカモです。

だからこそ神様は、人間のくだらないプライドを捨てなさいといつも仰るのだと分かりました。

 

一歩進んだと思えば、まだまだ思わぬところに罪を見つけます。完全には程遠い私の神様への道のりは、まだ遥か遠く、果てしなく続きます。

 

この歳になって、ミスをすることは本当に恥ずかしいし情けないことです。

私はいつでも目分量で大体の感覚で全てのことを行なってきたので、きっちりと分量を計る、きっちりと時間内に終わらせる、が本当に苦手です。

適当なことはプロの世界では許されないことですし、本当に自分がどれだけ自分中心でいい加減かということがよく分かりました。

私はパン屋さんでカスタードを炊いて、それをベースに数種類のクリームを作ることを任されていながら、一種類のクリームの生クリームの配合を間違えるという大きなミスをしてしまいました。

途中で、あれ?と思って自分なりに頭をひねって確認したのですが、最後の最後で私のザックリが出てしまい、大丈夫だとはっきり確信することなしに突き進めてしまいました。

結果、翌日にそのクリームの分量がゴムベラの重量分多かったということが判明しました。

家庭では「今日のはちょっと生クリーム多めだね」で済むでしょうが、お店としては同じクオリティで出すことが当たり前です。

プロ意識の決定的な欠落、本当に悔い改めます。

旧約聖書の中にも、正確な枡と正確な秤を使わなければならないとあります。いくら正確な枡と正確な秤を用いても、計る人が正確でなければ不正な枡と秤を使ったことと同じです。

 

間違いを正すチャンスは2回あったのに、私はそのポイントポイントで間違った道を選択してしまいました。

どうして間違った道を選択したのか。それは、「任されたんだから自分だけでやらなければいけない」という誤った責任感と、「こんなこと(確認←何よりも大切なことですが)に時間をかけていたら作業が終わらない」という焦りと、「忙しい店長を煩わしてはいけない」というピント外れな遠慮。そして何よりも愚かなプライドです。

単純な足し算引き算が、その時の焦りと雑念に支配された頭では、どこまでも複雑に感じられました。

頼りないと思われようが、人に頼って一緒に確認して貰えば良かったんですよね。

更に、その大きなミスをした次の仕事日にも小さなミスを繰り返してしまった時に、「どうしよう、言えない・・・」と思ってしまいました。

そして、なんとかうまく誤魔化す方法はないだろうか、と此の期に及んで頭をひねっている自分がいて愕然としてしまいました。

 

高慢の罪。偽装、不正の罪。

本当にどこまでも愚かです。

まだこんなにも自分の中に眠っている罪があったのかと、恥ずかしくなりました。

 

そして、そんな日には普段より疲れが一層増して、喜びが奪われているのがわかりました。疲労困ぱい、そして、しつこくまとわりつく眠気が襲います。本当わかりやすいほどに。

 

神様を知っていながら、不誠実な行いや悪い考えをすることは、結局は反逆であり、神様の名を汚すことだと思います。神様をまだ知らない人につまずきの石を与えてしまうし、他でもない神様がサタンの嘲笑を受けてしまいます。

本当に申し訳ない気持ちと悔しさでいっぱいになります。

心から切実に、醜い自分を焼き尽くしたいです。

 

神様は私達が気付かずに握っている罪を、私達に分かるように表に押し出してくれます。そしてちゃんと御言葉通りに出来るのか、私達の心の動きの一つ一つまでつぶさにご覧になっているのです。

私達がその罪を持ち続けている限り、奥深くへとサタンの進入を許し、同じような出来事が繰り返されてしまいます。それも、どんどん深刻さを増して。

私達を護る為にも、神様は私達が悔い改めて清くなることを望んでいるのです。

どこまでも神様は愛の方ですね。

 

神様、本当にちっぽけな自分、醜い自分を悔い改めます。

どうか、まだまだ潜んでいるであろう私の醜さを押し出してくださり、悔い改めの機会を与えてください。

その時に、逃げずに向き合える私でありますように。

あなたが仰るのですから、私達は必ず清くなれると信じます。

 

これからも神様に一歩でも近づけるように、神様の方を常に向いていきていきたいです。

 

どうか皆さんの毎日が誠実で、喜びに溢れていますように。

一人でも多くの人が神様の愛に気付くことが出来ますように。

 

心から祈ります。


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