馬鹿って言っちゃいけないの?

ご近所からお庭の柿を頂きました。

実家の庭にも柿の木があって、私が子供の頃には毎年よく実り、ご近所に配っても有り余る程でした。

あの頃はそのありがたみがわからず、季節になると「また柿か・・・」とうんざりしていたものです。

ある年から実を付けなくなってしまい(多分、父の剪定ミスだと思います。笑)いつしかスーパーで買う果物の一つになってしまいました。家にふんだんにあったものを買うのは、何となく癪に触るものですけどね。

大人になってからは柿を食べる度に、もしかしたら一番好きな果物かも・・・と思うこともしばしばです。特にお庭で採れたようなものが大好きです。先日の梨農園でも休憩の時にお庭で採れた柿を丸ごと剥いてくださり、ハイと手渡されたのですが(笑)、スーパーで売っているものとはまた違い、野趣溢れてとても美味しかったです。あっと言う間に平らげてしまうと、「いける口だね!」と、もう一個手渡され、なんと丸ごと2個食いです(笑) 。美味しくてペロリですけどね!

 

さて話は全く変わりますが、先日、私と娘の間でちょっとしたイザコザがありました。

私が教会の賛美歌を流しながら一緒に歌っていた時に、娘が宿題の音読を聞いて欲しいので一旦止めてくれと言ってきたのが発端でした。私は賛美歌を心を込めて歌っているので、余程のことがない限り途中で切ることはしません。いつも一曲終わるまで待つように、娘に伝えてあります。

そもそも娘は私が賛美や祈りを大切にしていることを知っているので、普段はあまり割り込んでは来ないのですが、どういうわけかその日は少し違っていました。

いざその歌が終わって音楽を止めると、娘はヘソを曲げて「やっぱ今読まない」と不貞腐れました。

少しだけ待ちましたが読む気が無いようなので、じゃあ続けるよと次の歌を流し始めると、再び「やっぱ読む!いま読もうと思っていたのに!あーあ・・・」と始まりました。

そんなことが3回繰り返されました。

娘は単純に、自分を優先してもらえなかったことに腹を立て、言い掛かりを付けているわけです。

 

私はその天邪鬼な行動に、いい加減にしなさい、と怒り、

「こんな馬鹿みたいな不機嫌に付き合いたくない。ほんと馬っ鹿みたいだよ!」

と言い放ちました。

するとこの「馬鹿」に娘が過剰反応しました。

「お母さんはいつも気軽に馬鹿と言って嫌だ。馬鹿って言わないで!!」と泣きました。

「もっと優しい言い方してくれたっていいのにぃ」とも。

 

・・・あ、そうか。ごめんなさい。

こういったことは、以前にも何度も言われたことがあるのです。

今までそんな風に言われたら、グサッと来て反省し、

「ごめんね、本当にそうだよね」

「確かに、お母さんが率先して馬鹿とか言っちゃダメだったよね」

「言い方がきつかったね」

とか謝ってしまっていたのです。

尤もらしい、正論ぽい主張にコロッと騙されて、それを切り札にするように助長してきたことに対して、ごめんなさい。

そっちの意味で、ごめんなさい。

 

馬鹿と言ってはいけない

優しく諭してやらないといけない

 

ホント如何にも尤もらしい教育論です。

「子供をやる気にさせる魔法の言葉」とか、「親学」とかあるけど、口先だけ整えてどうするんだろう。そんなテクニック、意味あるでしょうか。

正直、親がどんなに綺麗な優しい言葉を使って諭してくれたり共感してくれたとしても、心が伴っていなかったら、子供にはすぐに分かります。

言葉よりも寧ろ、行間を読んでましたよ、私は。

だから子供時代、物凄く冷めていたんです、私。

でも、親や大人達の偽善に付き合って表面上合わせることだけはしていたのです。・・・とても良い子だと思われ、それはそれは喜ばれましたよ。

そしたら、いつの間にか自分もそうなっちゃいました(笑)。遺伝性偽善、ウィルス性偽善、非常に危険です。

そうやって偽善ばかりスクスクと育っていき、自分の行動を差し置いて尤もらしい主張をし、他人を諭すみたいな人になっていくんだろうな・・・あーヤダ。ホント嫌。

今まで偽善的なものを良いものとし、模範に置いていたことを心から悔い改めます。

 

で、話は戻りますが、

 

馬鹿は馬鹿でしょう。馬鹿と言われたくないのなら、その行動をやめたらいいのに。

それに、優しく諭したりお願いしたって、全く言うこと聞く気ないくせに。しかも事の発端は、そこじゃなかったのに。

(最初の2回まではちゃんと歩み寄っていましたしね。)

 

明らかにダメと言われる行動を取っておきながら逆ギレし、尤もらしい主張を振りかざすあざとさ。

 

そこに非常に腹が立ち、思わず

 

「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い、馬鹿!!馬鹿と言われたくなかったら馬鹿なことをやめなさい、このバカタレ!!」

と口からマシンガンのように「馬鹿」が飛び出しました。ふう・・・

 

「馬鹿」は善い言葉ではありません。というか、悪い言葉です。そこに悪意や蔑みや嘲笑が伴えば、どこまでも人を傷付ける邪悪な剣になってしまいます。

でも、悪い心が乗っていなければ単に、「愚かなことをしてはいけませんよ」と言いたい時の、より親しみのある手軽でカジュアルな言葉ですよね。

(神様、娘の悪を突き刺し滅ぼす為の、もっと良い言葉があれば教えてください。)

 

でも、どんな綺麗な言葉も、そこに悪意や蔑みや嘲笑が込められれば汚れた悪い言葉になります。寧ろそっちの方がよっぽど悪いです。

どんな心で、何を意図してそれを言っているかが問題だと思います。

それなのに、私自身もすぐ言葉に引っかかってしまい、今まで善悪の区別を大きく外していたんだなと思いました。

 

さて、そもそも、ここで世間的な頭で考えてみると

子供が宿題やるって言ってんだから、すぐに止めて聞いてやれよー!

子供の気持ちを優先してやれよー!

神様、神様って、どんだけ〜

というツッコミが予想されます。

 

でも、神様に捧げる賛美が大事なので。

はっきり言って子供の音読より、賛美が大事なので。(勿論音読も聞きますけど)

気軽に止めるような軽い感じで歌っていないので。

テレビとか読書とか友達との他愛もないお喋りとかゲームとか、そんな下らないものは簡単にストップできますけど(というか、殆ど今はそれらに関わりすら無いですが)神様に関わることは別格です。

一曲(ほんの1、2分)歌い終わるまで待つことが出来ないなんて、ただの我儘ですしね。

 

子供の心を最優先してやらないといけない、という呪縛。

共感してやらないといけない、という呪縛。

こういう言葉をかけてやれば良い、こういう態度で接したら良い、というハウトゥーの呪縛。

良い親で在りたいから、良い人で在りたいから。

でも、そんなことちっとも上手に出来なくて悩む日々。

 

これらを、過去のガラクタと一緒にボイポイポーイと捨ててしまいました。

 

最優先すべきは、絶対的な善である神様です。それで全てが解決します。

親が神様の方をちゃんと向いていれば、神様の指針を守っていれば、偽善をせず、嘘をつかず、不条理を行わず、間違えません。それらは罪であり、行えば必ず裁かれますから。

つまり、子供に対しても正直になり、真っ直ぐに向き合え、建前を言わず、真心で接することができるので、子供もスッキリ納得しますし、そのように育っていきます。

これ、間違いありません。

子供は親の行いを見て育つのですから。

 

お母さんとあなたと、どっちが正しいか、神様はご存知だよ。

お母さんは間違っていないと思うから謝らないし、このままでは音読も聞かない。

何で馬鹿と言われたか考えて、本当に自分の行動が馬鹿じゃなかったか考えて、馬鹿だったと思うなら謝りに来なさい。馬鹿じゃないと思うなら神様にそう訴えたらいいよ。

 

娘は暫くグズグズ泣いていましたが、悔しさとプライドと格闘しながら這うようにして私のところに来て、

ごめんなさい〜〜

なんかくやしかったから〜〜

と抱きついて謝りました。

それも、ちゃんと賛美が終わった後に来ましたよ(笑)。

 

そして、そのままお友達との嫌な出来事を話し始め、意地悪なお友達に対してどうしたらいいかと泣きながら訴えました。

娘が妙に突っかかったり、変な行動を取るときは、大抵心の奥にあるモヤモヤや悲しみを取り除きたいと思っている時なのですね。

決して、どうしても音読を聞いてほしいわけではなかったのです。

 

娘の悩みも全て神様の御前に置けば、スッキリと解決します。

善悪を明確に分けられるからです。

 

たとえ一人ぼっちになったとしても、善であれば神様が見ていてくださるし、お母さんも味方だよ。

我儘だったら直さなければいけないけれど、正しければ貫きなさい。分からなかったらお母さんに話し、自分でも神様に聞きなさい。

お友達と仲良くすることが第一ではないからね。

心の悪いお友達と仲良くするくらいなら、一人ぼっちの方が良いんだよ。

お母さんは四六時中あなたのそばには居られないけど、神様はいつも側にいてくださる。

だから、神様に喜ばれる方を選択しなさい。

 

以上。

 

娘は、

あースッキリした!!

と、晴れ晴れした顔をして言いました。

私も晴れ晴れです。

娘の悩みを聞いても、私自身が全くモヤモヤしませんから。

 

そして娘は、無事に宿題の音読をいつも以上に心を込めて上手に朗読していました。

 

11月の朝会の配信は、子育て中の親にとって、答えと救いが満載です。特に12日以降ですね。

育児書を買うのではなく、子育てハッピーアドバイスみたいな痛いものではなく、こちらを聞くべきです。今月のRAPT有料記事の中から購入できます。

育てたいのは、善なのか、偽善なのか。親が見極めなくてはなりません。

 

神様、本当にあなたは素晴らしいです。

これからも私達に豊かに指針を示してください。

主よ、あなたを讃え、あなたの一筋の道をこれからも歩んで参ります。

どうぞ私達を護り導いてください。

 

皆さんの子育ての悩みが神様によって取り除かれますように。

 

 

心から祈ります。

 


馬鹿って言っちゃいけないの?」への4件のフィードバック

  1. ユーモアがあって、正直で素晴らしい記事ですね。あなたと娘さんのやりとりに、自分と我が子のやり取りが重なって、笑いながら共感しながら読ませて頂きました。
    RAPT様の朝会の配信は本当に核心部分がこれでもかと詰まっていますよね。
    こどもとの日々のやり取りにしても、日常の迷う部分、モヤっとしていた部分が、はっきりと明確に割くことができ、確信を持てるので、本当にスッキリとしています。あなたのこの記事によってさらに言語化していただけたので、本当に突き抜けるように快晴!といった心境です。有難うございます。
     主よ、あなた様を讃えます。あなた様の溢れる愛に感謝します。私に、御言葉を与えて下さり、義人によって幾重にも分かりやすく悟りという祝福を与えて下さいますことを心から感謝致します。
     姉妹であるあなたのことを、どこまでも護り導き、祝福して下さるように心からお祈りしております。

    いいね

    1. ゆうきのでるこうちゃん梨さん、
      いつも温かなコメントをありがとうございます。
      私達母親の一人でも多くが神様の正しい愛を身につけ、この世の愚かで間違った愛を捨て去ることができれば、世の中変わりますね。私達の責任は重大です。
      共に正していきましょう。
      貴女に主なる神様の恵みと祝福が豊かに注がれますことをお祈り致します。

      いいね

  2. 神様が「あなた馬鹿だよ」と伝える時には、どのようにいうだろうか、と私は考えてしまいました。例えば、キリストのrapt様が私たちに接するように接すれば良いのではないのでしょうか・・・。

    私もその答えが欲しいと思いました。

    本当に神様の愛はどこまでも単純で「尽くしたい」という思いだけだけど、そんな一筋の愛にたどり着くのは簡単なことではないと思いました。神様の愛をもっと悟らないといけないと実感させていただきました。

    これを書いていて思ったことがあります。いつのまにか私は「教えてあげるよ」と高慢になってしまうことに・・・。別に私はキリストでも十二弟子でもないのにです。あまり私のアドバイスをあてにしないでください(笑)

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  3. san15taga さん、
    いつもコメントを寄せていただきありがとうございます。返信が遅くなってしまいました。すみません。
    本当にRAPTさんのように本質を刺し通すような叱り方が出来ればいいですよね。
    今まで様々な雑念や価値観が錯綜して、随分と叱り方を外していたなと思うのです。紆余曲折の末ではありますが、子育て中にRAPT ブログに辿り着くことができたのは幸いでした。
    san15taga さんのように未来を担う方々が神様を愛し、真の力を蓄えていることは頼もしい限りです。
    これからもsan15taga さんに神様からの豊かな恵みと知恵が注がれますように、心から祈ります。

    いいね

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