ノドの地からの帰還

妹のことを書きます。

 

私の妹は、RAPTさんが開催してくださっていたスカイプでの朝のお祈り会の初期の頃のメンバーでした。読者対談もしていましたし、私より一月ほど早く参加していて、とても熱心に信仰を育てていました。

私は後から朝のお祈り会に参加させて頂けることになったのですが、妹から信仰の甘さやお祈り会の参加態度についてたしなめられることもあったくらいで、彼女は本当に熱心な信仰者だったのです。

明け方に起きるのが辛かった時代も、共に励まし合って続けていましたし、聖書も切磋琢磨して読み進め、共に疑問や気付きを話し合ったりしていたものです。

 

ある時、RAPTさんから私と妹の距離があまりにも近すぎることを指摘され、互いに意識して距離を置くようになりました。

こんな風に書くと、「そこまでしなくても・・・」と思うかもしれませんが、何しろそれまでは毎日、それも一日何回も、時には何時間もスカイプでチャットしていたわけで、物理的な距離は離れていても同居しているかのような、いやそれ以上の深く近い関係だったわけです。

今振り返ると本当に異常でした。

互いに何かあれば逐一報告し合っていたので、お互いの状況は手に取るようにわかっていました。それはもう、些細な心の動きまでも(笑)。まさに一心同体でしたね。

その頃は実家の父母兄との間で様々な激変や問題の噴出があり、現実問題として協力し合わなければ対処しきれなかったでしょうし、話さなければならないことがいっぱいありました。というか、あり過ぎました(笑)。だから、仕方のない部分もあったのは事実ですが、度が過ぎていましたね。

丁度それらの目処がついた頃、RAPTさんからそのご指摘があったわけです。

本当に絶妙なタイミングで適切な距離を教えて頂き、救って頂いたのだと思います。あのままその状態を異常と感じず、ズルズル続けていたら、二人であらぬ方向へと突っ走り、共倒れだったと思います。

 

本当に完璧な御計らいでした。主よ、心からあなたを讃えます。

 

そして程なく、妹は朝のお祈り会から出されてしまいます。

私は、出されるとしたら妹ではなく信仰の浅い私の方だろうと思っていましたから、本当に驚きました。私は誰より怒られてばかりで、愚かで浅はかな失敗ばっかり。本当に自分の信仰の甘さと足りなさを毎日痛感させられ、アップアップしながら必死でしがみついている感じでしたから。・・・それは今もですけど。

妹はRAPTさんからご指摘を受けた直すべき部分を、自分では全く自覚も無ければ理解もできず、只々困惑していました。実の姉妹である私はさすがに、(こういうとこだよなぁ)と感じていた部分でしたが、本当に短期間の少ない会話の中で彼女の課題をズバリと見抜かれたRAPTさんには、さすがという言葉以外にありません。本当に神の人です。

妹は一週間の猶予を頂き、でも悟れず、更に1ヶ月の猶予を頂いたにも関わらず、結局変わることが出来ませんでした。

何が問題なのか悟らなければ、変わることは出来ませんから、当然のことです。

 

妹は他の兄弟姉妹の皆さんの前で厳しく指摘されたことのショックと、プライドを打ち砕かれたことで完全に打ちひしがれました。

まさに聖書で書かれているような、粗布を身に纏い、灰を被り、嘆き泣きながら荒野を彷徨うという感じでした。

 

その時、以前の私なら、「妹はこう思っていたんだと思いますー!!!」とか、良かれと思って必死で弁護していたでしょうけど、その頃の私は幸いにも既にそれが間違った愛であり何の意味も為さないと理解していたので只々黙って祈っていました。

 

妹に自暴自棄の嵐が吹き荒れました。

 

連絡を密に取り合うことをやめていたので、その後の妹の詳しい生活はわかりませんでしたが、たまにやり取りした時の言葉の端々から、信仰生活から随分と離れてしまったのだということは感じていました。特に肉的にも辛かった明け方のお祈りは、即やめてしまっていたようでした。

寝不足で車の運転が出来なくなると理由の一つに挙げていましたね。

 

実家の母に泣いて電話し、悲しい心の内を訴え、神様にちゃんと祈れない母や父の気持ちがよく分かるなどと言っていました。

母は聖書を通読しながらもRAPTブログにつまずいて、信仰を自分を慰めるだけの甘い飴にしてしゃぶり、父との関係に疲れた時、簡単に神様を捨てて冒涜した人です。(父とあんぱん、母と私

今は再び聖書に戻り、正気を取り戻したようですが、本当にその頃は人間サタンでした。

その母と慰め合うなどは私には考えられないことでしたが、こんな形でも母との連絡を妹がすることになったことは、もしかしたら母を救う為の神様の御計らいなのかもしれないなとも、ボンヤリ思いましたけれど。

 

その後の妹の発言といえば、

 

今はB層の上を行く超バリバリB層な暮らしをしている、とか

自分はそもそも山羊だったんだ、とか

羊になりたかった山羊だったんだよね、とか

自分には神様を信仰する資格がない、とか

私と話さない方がいいよ、サタンがうつるから、とか

 

とにかく、ん?と引っかかるものばかりでした。

 

更には子供の習い事をサポートすることに夢中になりはじめ、「一生懸命な人の応援をするのが本当に楽しいの!」と、妙にキラキラし始めてしまいました(笑)。

それが物凄く不自然な現実逃避に感じ、違和感いっぱいで、私はただ黙るしかありませんでした。

 

どうやら有料記事の購読も遅れ遅れとなり、ちゃんと読めていない状態のようでした。

 

神様は九十九匹の羊たちを置いても、迷い出たたった一匹の小羊を探しに行かれ、見つけたら喜んで連れ帰られる方です。

私はとにかく諦めず、伝えるべきことを伝え、励まし続けましたが、なかなかどうして、頑なでした。

 

でも妹の身に次々起こる数々の艱難苦難や、それに伴う彼女の辛そうな様子を見ると、やはり神様から離れることは何よりの苦しみであり地獄なのだと思わざるを得ませんでした。私自身も決して平坦な毎日ではありませんでしたが、決してズタズタになる事は無く、心はいつも喜びに満たされていましたから。

 

せめてもの救いは、子供の習い事の間だけは少し祈ることが出来る、と彼女が言っていたことでした。

また、条件は立てることが出来ていなくても、神様を信じる心、RAPTさんは正しいという感覚だけは持ち続けていたことは幸いでした。

本当にギリギリの感じを行ったり来たりだったのだと思います。

 

季節が巡り、愛媛の教会が建てられ、9月から朝のお祈り会が教会で毎日行われるようになりました。

私はスカイプでそのまま毎日参加させて頂いていますが、朝会の配信が出されたことにより、何度も聴き直すことができるようになり、本当に日々救われています。朝会の配信は本当に画期的で凄いことだと思います。

(しかも一月たったの1,500円です。有料記事と合わせても2,300円。迷う値段ではありませんね。)

 

教会での朝会は、物凄く力あるものです。スカイプでの少人数のお祈り会の比になるものではありません。

兄弟姉妹の皆さんと賛美を共に歌い、RAPTさんがその日に受けた啓示を伝えてくださいますが、それが人間の頭で捏ねくり出したものでない事は聞けば明らかです。

 

普通に考えたら毎日寝不足の筈の私は、人生で今最も健康ですし、元気で喜びに満たされ、ストレスも不平不満も無いという奇跡的な状態です(笑)。しかも新しい仕事も始め、月に一度愛媛に行き、今では仕事のある日に断食してもフラフラしたりせず、全く平気になりました(食べることは)。

なんかもう、今の自分の成長よりも、本当にそれまで如何に死んでいたのかがしみじみわかるというものです。

 

ふと、妹はどうしているだろう、と思いました。ちゃんと聴けているだろうか。力を受けているだろうか。

毎日彼女のことを祈ってはいるけれど、連絡してみようと思いました。

 

しかし案の定、その時の彼女はまだ朝会の配信は聴いていませんでした。8月の有料記事すら手付かずで、相変わらず苦しみの中に居ました。

神様の元に戻ることも、神様を完全に捨て去りサタンの世の中に戻ることもできない。ぬかるみに嵌って進むことも戻ることもできず、二進も三進も行かない様でした。

 

実は妹と私は、もう一人の友達と3人でもチャットをしていました。その友達は元々妹のママ友でしたが、私と感覚がとても似ていて、私達は昔からの友のように意気投合したのでした。

妹と彼女は子育てや家庭の悩みをオープンに話せる信頼関係があり、彼女は妹の伝道によって信仰も持つようになりました。つまり私と同様、彼女も物凄く妹に依存していた人だったのです。

 

妹と私が近すぎるとRAPTさんから指摘された時、この3人のチャットも解散しました。私はこの拙いブログを書くことに忙しくなりましたし、悩みを打ち明ける相手が違うのだという原点に互いにハタと気付き、それぞれ神様に戻っていきました。

 

彼女は私が働いている梨園の裏に住んでいて、会おうと思えばいつでも会える状況でしたが、何故か互いに予定が合わず、すれ違うばかりでちっとも会えなくなりました。

それまでチャットで毎日語り合い、近況はリアルタイムで知っていた仲でしたし、割と頻繁に家を行き来し合ってもいましたから、それはもう神様の御計らいとしか思えませんでした。

 

でも、極々たまに連絡し合うと、彼女もしっかりと信仰を持ち続けていいることがわかり嬉しくなりました。

9月に本当に久しぶりに会った時、朝会の配信から物凄いパワーを得ていると喜んで話していました。

彼女も家庭環境に様々な問題を抱え、本来なら悩みと不安でゲッソリしているか、怒りや絶望が渦巻いていてもおかしく無い状況でしたが、全く負のエネルギーを感じず、毎日が喜びで満たされているのがわかりました。

そんな彼女も妹とは連絡を取っておらず、只々祈っていると言っていました。彼女もRAPTさんを神の人と思うからこそ、情に負けず言われたことを忠実に守っていたということです。

 

再び妹に連絡してみました。

友達も相変わらず信仰を持っていること。彼女も妹をとても心配していること。RAPTさんが時折、妹のことを話に出して気に掛けてくださっていること。友達が朝会の配信から物凄く大きなパワーを貰っていると言っていたこと。

妹の隠れた高慢やプライドや人間に対する偶像崇拝、自分中心や、勝手な神様への解釈、怠惰などについて、本当に久しぶりに長く話しました。

 

私には彼女に対しての情は既にありませんでしたが、神様に対しての責任のようなものを感じ、心にあることは彼女に全部伝えようと思いました。

 

9月、彼女は8月の有料記事にやっと着手できました。

10月、彼女は朝会の配信をやっと聴くことができました。

賛美を聴きながら、涙が止めどなく流れたと連絡をくれました。

朝会での御言葉は勿論のこと、教会で起こる様々な出来事や追い出されてしまった一時滞在者とRAPTさんとの問答などで、自分の中の課題や問題の解決の糸口が見え始めたと言いました。

指摘を受け、叱られる全ての人の中に自分自身の罪を見つけるのだと。

 

彼女の心が変わると、彼女の周りも大きく動き始め、善の法則へと大きく切り替わり始めました。

彼女はあんなに無理だと拒否していた明け方のお祈りや神様中心の生活に戻ることができました。

今、彼女は倍やらないとと、毎日熱心に祈り求めて生きています。

 

神様の御前を去ってさすらい続けた彼女が、約一年の月日をかけてノドの地から帰還しました。

 

本当に神様はいつでも両手を広げて、待っていてくださるのだと思いました。

悔い改めた先には祝福が、悔い改めなければどこまでも暗黒の闇が待っています。

プライドと自負心、自己憐憫はゴミです。本当に邪魔なだけで役に立たない、悪臭を放つ粗大ゴミで、どこまでも私達の行く手を阻むものです。

それらを手放し、只ひたすら神様にへりくだり従うこと。それ以外に幸せに生きる方法はあるでしょうか。

 

艱難苦難、激しい糾弾、辛い試練、不当な扱い、病など、それがどんなに大きくても、絶望したり、自暴自棄になったり、自分の正当性を訴えることばかりに腐心するのではなく、どうしてそれが起こり、神様が何を伝えようとなさっているのかを考えたら良いのですよね。

もしかしたら、そこまでしないと突き崩せない、物凄い大きなゴミが自分の中に詰まっているのかもしれません。

もしかしたら、そこまでしないと必死に祈り求められない程に他人事で鈍感だったのかもしれません。

 

私達はわからなかったら神様にひたすら縋り付き、祈ることが許されています。これは、なんという救いでしょうか。

 

どのような出来事も、全て神様の御許では益となります。全てが、自分を完全にする為のヒントであり、救いであり、神様からのギフトです。裁きでさえも愛だとわかります。

 

神様はいつも驚くようなやり方で私達を救ってくださいます。

それはずっと後になってからわかることもあります。私は私自身の取るに足らない経験からも、何度もそれを感じました。

 

どうかそれを信じて、全ての人が神様にしっかりと結び付くことが出来ますように。

 

共に最後まで走りきることが出来ますように。

 

 

心から祈ります。

 

 

 


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