孤独感は何処から来るのか

毎日当たり前にストーブをつけるようになりました。

冬ですね。

 

我が家でカフェモカを淹れ、一息入れています。

初めて飲んだ紅茶男子の息子も、目を輝かせて「これは美味しい!!」と喜んでおりました。(笑)

 

誰がコーヒーとココアを混ぜようと思ったんでしょうか。ココアだと重すぎる、でもこっくりした味が欲しいという時に丁度よく、これは大好きです。生クリームをゆるく泡立てたものを乗せ、シナモンをちょっとふりかけて、それはもう至福の時です。

混ぜ合わせることが上手くいった例ですね。初めて知った時、「えー、邪道〜」と思ってゴメンナサイ。(笑)

 

混ぜ合わせるといえば思い出すことがあります。

息子が小学生の頃は、グループのお友達親子とファミレスに食事に行く機会が本当に多かったのですが、大抵大人も子供もドリンクバー。

私はそんなに飲めないし、子供達にもそんなにジュースを飲ませたくないしで、普段は殆どドリンクバーを付けることはありませんでしたが(そもそもファミレスが苦手)、やはりお友達と一緒という特別感と足並みを揃えなきゃという体裁から、我が家も合わせて頼んでいました。子供は大喜びでしたね。

 

でも、閉口したのが、お友達の一人が「実験」と称してジュースを何種類も混ぜ始め、それが瞬く間に流行ったことです。

 

コカコーラとオレンジジュース

オレンジジュースとリンゴジュース

オレンジジュースとカルピス

くらいならイメージ湧くから良いとして、

コカコーラ、オレンジジュース、リンゴジュース、メロンソーダ、カルピス、ジンジャーエール

などなど

全部混ぜる実験!などと言って、濁った水溜りのような飲み物を作って盛り上がっていました。

 

勿論、全部飲むわけもありません。

飲み干されても気持ち悪いですけど。

 

親たちも、も〜!とか口では言うものの、

まあ、ドリンクバーだし、いっか!

あんたら、本当に好きだね〜!

みたいなノリでしたね。

私はどうも笑えませんでした。とはいえ今後の付き合いを考えて、あからさまな態度には出せませんでしたけど。

 

親たちも長丁場に備えて、何度も取りに行かないで済むようにと、一度に2〜3種類くらい飲み物を持って来るという「知恵」を使っていました。

 

そして、おしゃべり、おしゃべり、おしゃべり・・・・

 

噂話は続くよ、どこまでも。(大抵おしゃべり好きの人の独壇場)

 

私自身もそうでしたが、皆、本当に飢えていたんだなと思います。

私はそこから外れましたが、今でも相変わらず続いているのでしょうか。

子供の成長に伴って解散したでしょうか。

 

本当にあの頃は自分を裏切って、自分を抑えて、表面だけ仲良く合わせていたなぁ、モヤモヤしていたなぁ、と思い出します。

 

今はそのような席にわざわざ行かないので本当に楽です。

 

人寂しくて、暇さえあれば誰かとおしゃべりしたいのに、いざ集まって話しても虚しさが募るばかりでした。

肉は近くにいるけれど満たされず、孤独感すら感じていました。

 

毎回虚しさとフラストレーションが溜まると分かっていながらも、誘われれば行くという愚を犯していました。

行かなかったら損するような気がして、仲良しポイントが減るような気がして、抜けられませんでした。(笑)

 

自分を(子供を)分かって欲しい、自分を(子供を)認めて欲しい、私の(子供の)話を聞いて欲しい、グループの中で自分の(子供の)立ち位置やアイデンティティを確保したい、自分を(子供を)愛して欲しい・・・

その時の心理を紐解けば、その一心で必死で参加していたような。(笑)

 

どんだけ〜

・・・・・

 

どんだけ〜〜〜

 

本当に自分と子供を混ぜこぜにしていました。

水溜りジュースくらいに吐き気がしますね。

 

子供と自分を切り離せず苦しみ、

同じように私自身も親や兄妹と自分を長年切り離せず苦しみ、

色々くっついた大きなイビツな私という塊が、話を聞いて欲しくて、理解して欲しくて、でも思うように話を聞いてもらえなくて、ちゃんと理解してもらえなくて、苦しみもがいておりました。

 

あのような無駄な時間を、二度と過ごしたくはありません。

 

本当に、話を聞いて頂く相手を間違えておりました。

相談する相手を間違えておりました。

認めてもらう相手を間違えておりました。

努力する方向も、向上する方向も間違えておりました。

 

神様。

 

この絶対的な存在に気付けたことは幸いでした。

 

それも、神様が何とかしてくれる。とか、神様を信じていさえすればオッケー大丈夫、救われる。とかの脆弱なものではなくて、私達一人一人を凛と、すくっと、しっかりと立たせてくれる、はっきりと目覚めさせてくれる厳しくも真実の愛のある神様です。

 

私は真の神様を知ることで孤独感が消えました。それまで感じていた不安も、焦燥も、虚しさも。

 

皆それぞれが神様と繋がり、神様を通して結び付いているべきなのに、人間同士で癒着するからイビツになるのです。

 

神様は全てをお分けになる方です。

善と悪、聖と邪、清潔と不潔、清さと穢れ、

あらゆる癒着を裂き、解いてバラバラの単体にされていくお方です。

当然、人間関係も然りです。

だから「捨てなさい」と仰るのですよね。

 

しかし、悪魔は全てを混ぜこぜにします。

善の中に悪を混ぜて、わからなくし、

聖の中に邪を混ぜて、騙し、

清潔の中に不潔を混ぜて、汚し、

清さの中に穢れを混ぜて、「だって人間だもの」と言います。「それでいいんだよ」と。都合次第で変幻自在な価値観、線引きの難しいグレーゾーン、訳わかりません。

 

また、人間同士を何処までも癒着、結着させ、がんじがらめにし、混沌にしていきます。

そして、そこから離れたら生きていけないと思わせるのです。

 

苦しいから抜け出そうとする人にはスピリチュアルやら占いやら御守りやらおまじない(御呪い)やら自己啓発やらが用意されています。色んな形の色んな色の趣向を凝らしたドアがいっぱいあって、暫くは飽きません。一生飽きずにドキドキワクワクして開け続ける人もいるでしょうね。出口のない巨大迷路ですけど。

または、そこにも引っかからない人には偶像崇拝に向かわせるのです。仏像やらマリア像だけでなく、人間、お金、権力、仕事など、この世の移ろうものは全て偶像です。

それらのものからは、一時的なちょっとの癒ししか貰えません。ガム噛んでるようなものです。

 

悪魔は人間が神様と繋がることを全力で阻止します。救われては商売あがったりですから。何よりも人間を憎み、嫌い、何処までも貶めたいと思っているのですから。

だから、神様や宗教に対して危ない、ヤバイ、キモイ、怖いという概念を植え付け、実際にそういう怪しい宗教をいっぱい作って惑わし、真の神様へ深入りさせないようにするのです。

 

人間が救われては困るから。

 

この世に、危ない、ヤバイ、キモイ、怖い宗教ばかりあり、それで人生が破滅する人が後を絶たないのは、真の神様に対する撹乱工作です。

 

聖書を読み、RAPTブログで真実を知り、RAPT有料記事で聖書の封印を解き、そして祈る。その狭き門から入ってください。

 

本物は自分の「霊」が知っています。研ぎ澄ましてください。

 

今苦しい人は幸いです。神様を求めるからです。それは、神様と繋がるチャンスを意味するからです。

 

一人でも多くの人が人間関係の癒着から離れ、真の神様に繋がることができますように。

 

私達一人一人が輝く真珠の一粒一粒となり、御言葉という一本の糸で通され繋がりますように。

神様の御胸を彩り飾るものとなれますように。

 

心から祈ります。

 


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