梨園の仕事はじめ

新年が明けました。

お正月の浮かれた雰囲気も終わり、今日から子供達も学校です。

今暫くブログをお休みしているつもりでしたが、思うところがあり、また今日がこのブログの登録一周年だとword press.comから知らせが入ったことにも背中を押されて、今日の出来事を書きたいなと思いました。

 

兄弟姉妹の皆さんならば朝の配信で私がRAPTさんから厳しいご指摘を受けているのをお聴きになっていると思います。私自身は自分の名前が出る度に苦しさも正直ありますが、公開手術を受けているような気持ちで居ります。

悪人にナイフで刺されるのは嫌だけど、神の御手で患部を切り取って頂けるのならば、どれだけ有り難いことでしょうか。自分の力では気付けなかったし取り除けないのですから。

御言葉という薬によってじわじわと回復する病もあれば、聖なる剣によって切り取らなければ治らない病もあるのですね。私の罪の根はそれだけ頑固に蔓延っていたということでしょう。

青菜に塩、ナメクジにも塩、どんなに小さくなったとしても罪で醜く膨れ上がっているよりはずっとマシです。

今日の配信を聴いて、自分がRAPTブログに出会う前に身を置いていた職場や人間関係がどれだけ汚れていたのかを改めて思い知り、私自身も汚れきっていたのだと思い知りました。意識高い系の人々の危うさ。私はそれを身近で見聞きしていながらも実際に手を染めなかったことで、まるで自分だけは清いかのように勘違いしていたのだと思います。だからこそ自分が見聞きしてきたことを、何かの役に立つのではないかと、良かれとさえ思ってあれこれと話してきたのです。本当に恥ずかしく思いました。

発症していなくても立派な保菌者で、平気で毒の強い菌を撒き散らしていたのだということが今は良くわかります。

私は以前の記事でも書きましたが、自分自身が子供の頃に性的な嫌がらせを受けたこともあり、自分の子供が同じような被害に遭うことを極端に恐れておりました。

性被害のニュースや情報には一々過敏に反応してしまい、撲滅する為に自分に何か出来ないかを常に考えておりました。

しかしそれも結局は執着で、そこばっかりに興味が行っているということは、つまり彼らと同じ穴のムジナだったのだとよく分かりました。

私の罪は、自分を罪としない罪でもあります。汚れにまみれているにも関わらず、自分はやってないから大丈夫、セーフとして、ゴミ溜めの様子を他人事のように話して聞かせた罪。それも、神様の厭う世界の話であるにも関わらず、神様に一番近い人々に話し苦しめました。そして、それが罪と気付きさえしませんでした。本当に心から悔い改めます。

 

私はそれらを明らかにして断罪することに夢中でしたが、それよりも先に、そのような場所に一時でも身を置いた人間の一人として、自分自身が神様に悔い改め、赦しを請うべきでした。

本当に浅はかな一つ一つを裁かれております。

 

 

さて、今日この記事を書こうと思ったのは、梨園で久しぶりに働いてきたからです。

 

今朝の配信を聴いた直後はさすがに打ちのめされて、お休みして一日中祈って過ごそうとも思ったのですが、ふと、梨園の仕事は祈りながらできる仕事だったなと思い直し、行って外の空気を吸った方が良いというような感じを受け、予定通り出掛けることにしました。

梨園に着くと、明け方まで降っていた雨の雫が枝いっぱいに並んで光っていました。しかし空はどんよりと曇っています。

 

「今日のお仕事は、ペタペタですよ〜。」

園主の奥さんが刷毛とオモチャのバケツくらいのボンドの容器を渡してくれました。

通称「ペタペタ」

剪定した枝の切り口や、枝に入ってしまった亀裂にペタペタと刷毛でボンドを塗っていくという単純な作業です。

植物用とはいえ、ボンドはボンドです。生きている木の切り口に化学的なものを塗ると聞けばちょっと抵抗あるかもしれませんが、それを塗ることによって断面が保護されるだけでなく、芽が生えてくるのも防げるのだそうです。

そのまま放置しておけば、せっかく悪い枝を剪定したにもかかわらず、切り口の脇からまた悪い芽が出てきてしまうのです。

また、枝の中にはよく見ると亀裂が入っているものがたまにあります。その亀裂が細くて浅い内にボンドで補強しておくことによって、その枝が後々まで生きて、たわわに実を成す枝になるのだそうです。

しかしそのまま放置しておけば、成長するにつれ亀裂が深くなっていき、せっかく良い枝として残したいと思っても、折れてダメになってしまうのです。

 

この作業を、今日というこの日に、この私がやるという・・・

 

二度と悪い芽が生えてこないように、ペタペタ。

折れてダメになってしまわないように、ペタペタ。

たわわに実がなる枝になるように、良い木になるように、ペタペタ。

 

黙々と作業しながら、なんだか涙が出てきました。

 

涙が流れても、一人一人離れて黙々と作業しているので、誰にも気付かれずに済みます。有り難いことです。

 

祈りながら、悔い改めながら、冒頭に書いたようなことを思いながら黙々と作業していると、どんよりとした空から日が差して、いつの間にか晴れ渡っていました。

 

このような小さな救いを日々受けながら、毎日を生きております。

 

「あともうちょっとで死ぬかな」

「なかなか死にやがらないな」

「早く死ね」

というサタン声が時には聞こえてきます。(この「死ね」は霊的にです。つまり信仰が無くなるという意味です。)

こんなことを書くと、それこそ幻聴のある錯乱した人みたいですが、実際に耳で聞こえるのではなく、そういう感じを受けるということです。

私が失敗したり配信での指摘で落ち込みそうになると、それが大合唱になることもあるのですが、その度に不思議と救いがあり、助けられております。

やはり神様は私達が完全になることを求めていらっしゃるのだと、主の御前では寸分の濁りも二心も偽りも甘えも赦されないのだと身をもって思う毎日です。

 

本当に完全になりたいです。

本当に清くなりたいです。

諦めずに最後までやれば、その祝福に預かれるのならば、やるしかありません。

 

自分の決意として、記念として、今日のこの記事を書きました。

どうかこれが、毒でありませんように祈るばかりです。

 

そして、まだ御言葉に出会えていない皆さんが御言葉に出会えますように。

私自身と御言葉に従う兄弟姉妹の皆さんが、今日も明日も明後日も御言葉に忠実でありますように。

心からお祈りします。


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